――経済的な制約を取っ払うことで、ドライバーという選択肢が見えてきたんですね。しかし、数あるモータースポーツのなかからドリフトの道を選ぶというのは、かなり珍しい選択なように感じます。何か理由があったのでしょうか?
下田 たまたま、レーサーになりたいと思った時に、昔、お台場で「D1グランプリ」のポスターが貼ってあったのを思い出したんですよ。それまでは映画の世界くらいしかドリフトのことを知らなかったんですけど、「そういえば、お台場でドリフトの大会が開かれてたな。ドライバーやってみたいし、一回、プロの世界っていうものを見てみようかな」と思ったんです。
実際に行ってみると、なんでしょう。ほんとに、言葉にできないくらい感動して。
お客さんもみんな、すごい盛り上がっていて。「これだ」っていう感覚がありました。その場でもう「いつか私もこの場に立とう」と決意していましたね。それからすぐ職場に行って、「私ドリフトのドライバーになるので辞めます」って告げて。当然、「お前はバカか」みたいに言われたんですけど、「絶対になるって決めたから」と伝えて、全部の仕事を辞めました。
坂道発進でのエンスト地獄
――もともと車が好きだったことに加えて、人の心を動かすことにも喜びを感じる下田さんにとって、ドリフトのイベントが運命的な出会いになったわけですね。しかし、運転技術がゼロに近い状態からプロのドライバーを目指すことは、そもそも可能なんでしょうか?
下田 そうですね、その時は実はまだ免許がAT限定だったんですよ。それなのに、マニュアルのFD(マツダ・RX-7)を買っちゃったんです。いま思うと先走り過ぎですよね!
それから教習所で限定解除して、まずは街でマニュアルの操作に慣れようと……。最初のうちは、さんざんエンストしまくりましたね。坂道の信号で止まってから発進できなくなっちゃって、後ろからクラクションを鳴らされて、車を降りて後ろの人に「ごめんなさい先に行ってください」って言ったり……。車に戻ったらまた赤信号で、その繰り返しみたいな。心が折れかけましたね、「ドリフト以前のレベルじゃん……」って。
でも、ある日なぜか、自分がマニュアル車をすいすい運転している夢を見たんですよ。起きてすぐ「今ならできる」と乗ってみたら……本当に乗れるようになっていたんです。
――マニュアル車をスムーズに運転できるようになってからは、すぐに本格的なドリフト練習に取り組んだのですか?
下田 はい、家から通える範囲にサーキットがあったので、そこに毎日のように通い始めました。それこそ周りから「このサーキットに住んでるの?」って言われるくらい。
スクールの代表のサトケンさん(HYPER DRIVE SCHOOL代表・佐藤謙氏)が月1くらいで練習に顔を出してくれていたんですけど、運転が上手いわけでもない私が毎回サーキットにいるので、最初の頃は「何なのあの子は……?」と思っていたそうです。