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 日付が変わって12月5日の未明、苦し気な叫び声が学生寮に響いた。法廷では「2分間の恐怖の叫び声が3回、引き続き最後の喘鳴(呼吸時に出るぜいぜい・ひゅうひゅうという音)」と述べられている。あまりにも恐ろしくリアルで、学生たちは、様子を見に部屋の外に出ることもできなかった。この時近くの部屋の学生が発したSNSで午前3時20分と特定されている。

「自分が来たことは口外しないように」

 7日、セペダ被告はジュネーブから空路バルセロナに行き、従兄弟宅に泊まった。12日にチリへ戻る際に、従兄弟に「自分が来たことは口外しないように」と頼んだ。

 5日から12日までの間に、愛海さんの携帯からいくつものメッセージが送られた。その中には「私には新しいボーイフレンドができました」「私は一人で発ちます」といった日本語のものもあった。

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「セペダ被告の知人で、愛海と面識のなかった日本人の女学生は、被告から2つの文章を日本語に翻訳するように求めるメッセージを受け取ったと日本の警察に説明した。12月15日、セペダ被告は彼女に、この翻訳依頼についての交信を削除するようにしつこく要求した」とフランスの捜査記録は述べている。

 学校や友人からの捜査願をもとに12月15日に捜査官が愛海さんの9平方メートルの部屋に入ると、きれいに整理整頓されていた。ハンドバッグ、現金565ユーロ入りの財布、コンピューターもコートも部屋に残っていた。外は零度以下、雪がちらついていた。パスポートと携帯、トランク、毛布だけがなくなっていた。

愛海さんの部屋のドア。事件直後には立入禁止状態に

 セペダ被告は、ブザンソンに着いた翌日の12月1日に、近郊のショーの森へ行き2時間半滞在していた。2万ヘクタールのフランス第2の森だが、特に観光名所があるわけでもない。フランスを発つ前にセペダ被告はこのあたりを再び訪れている。レンタカーにはあらゆる動きを記録するシステムが搭載されており、さらに、携帯電話や基地局の記録から詳細に足取りがわかるのである。