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「ドリンクを飲んだ絵里香さんは大量に噴いた」

 眞鍋は選手との距離を縮めるため、時にはいたずらも仕掛けた。これは計算ではなく本能というものの、被害に遭った選手は多くいる。最もその餌食になったのが木村だ。

「体育館に置いていた私のスポーツバッグに、ペットボトルの蓋がパンパンに詰め込まれていたことがあったんです。すぐに眞鍋さんの仕業だと気づきましたよ。だから仕返しに、以前に眞鍋さんから靴に大嫌いなゴキブリが入っていて背筋が凍ったことがあると聞いたことがあったので、眞鍋さんの靴にペットボトルの蓋を忍びこませました。そしたら、足の感触でゴキブリと間違えて飛び上がったらしい。眞鍋さんはまた仕返しも考え、私のドリンクにプロテインの粉を大量に入れた。でも、そのボトルは実は(荒木)絵里香さんのものだったので、勢いよくドリンクを飲んだ絵里香さんは大量に噴いた。眞鍋さんは絵里香さんにも仕返しをされたはずです」

 狩野舞子は、トワレを入れた小瓶をスポーツバッグに飾っていた。澄み切った水の匂いがするトワレで、練習前にモチベーションを上げるために一振りするのが日課だった。減りが早いなと思っていたものの、揮発性があるから仕方がないと気にも留めなかった。しかし10日ほど経ったころ木村に、眞鍋が舞子と同じ匂いがするといわれ気がついた。

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ロンドン五輪時の狩野舞子選手 ©JMPA

「いつやられたのか、まったく気がつきませんでした。眞鍋さんに文句を言ったら『今頃気がついたのか。僕は毎日つけていたんだぞ』って逆ぎれされてしまいました。でも、いたずらを仕掛けながらも私たちと会話の糸口を探ろうとしていたんだと思います」

 そうやって対話を繰り返していくうちに、監督と選手という上下関係は少しずつ希薄化し、目線は横並びになった。情報の共有化も図られ、選手個々に自信が芽生えた。

 眞鍋にはもう一つ大きな仕事があった。選手に日の丸を背負う覚悟、オリンピックを闘う気概を、骨の髄まで染み込ませなければならないと考えた。

「もちろん国際大会などで、僕らが負けるということは日本という国が負けるということなんだ、と口酸っぱく言いましたけど、五輪に出場したことのない選手が半分いる。その意識の差をどうやって埋めるか。観念的なことなので、伝えるのが難しかった」

 奄美大島で合宿したときだった。関係者からホテルの庭で激励会をやってもらっていると、出席した地元の老人が空を見上げながら眞鍋につぶやいた。

「昔、この地点が特攻隊の生死を分ける分岐点になったんですよ。片道のオイルを積んで知覧から少年兵が飛ぶんです。でも、機体の調子が悪いと、ここから引き返すことになっていた。空を見上げながら、引き返せ、引き返せと祈っていたもんです」

 眞鍋は老人の悲しそうな顔を見ているうちに閃いたことがあった。来週から鹿児島合宿が始まるが、合宿場所の指宿(いぶすき)と知覧はそう遠くない。