事件から27年、現場を再訪すると…
今年で、事件から27年が経とうしている。私は5年ぶりに現場を訪ねたと冒頭で記した。現場となった家がどうなっているのか、確認したかったことが主な理由だった。そこを訪ねてみると、周囲にはかつて話を聞いた男性が今も暮らしていて、昨今の現場の様子について話してくれた。
「あの事件がテレビで取り上げられた当初は、心霊スポットだとか噂になったりして、夏場には、よく若者たちの集団が来たものだったな。勝手に家に入ったりして、大騒ぎをするもんだから、よく怒鳴りつけたもんだった。今でもたまに来るけど、俺ももう怒鳴りつける元気もなくなってきたよ。あと、誰だか知らないけど、家にある金目のものを、持っていった人間がいるってよ」
私は、霊感などまったくないが、もし近所でこれだけの殺人事件が起きたとしたら、さすがに何となく薄気味悪さを感じてしまう。男性は何か、感じることはあるのだろうか。
「俺は、まったく霊感なんかないから、何も感じないよ。全然大丈夫」
そう言って、男性は豪快に笑った。
男性に話を聞いたあと、私は改めて、今も変わらず建っている家を訪ねた。ガラス戸の向こうの障子はズタズタに破れ、軒下には子ども用の自転車が5年前と同じように置かれていた。肝試しの侵入者によるものだろうか、2階の窓が少し開いていた。
その後も「悪魔祓い」は存在していた
この日本において、祈祷師による悪魔祓いは、当然ながら日常生活に深く根を下ろしている。2011年5月に群馬県前橋市で、1歳の女児を虐待死させたとして、北爪順子被告が2017年2月に逮捕された。北爪被告は、先生と呼ばれ、多くの信者にお祓いをして、そのお布施で生計を立てていた。殺害した女児は信者の娘だった。
常に揺れ動いている人の心というのは、いくら世の中が便利になろうとも変わらない。人の不安や悩みに対して、真摯に向き合う祈祷師もいれば、それを己の欲望を満たすために利用する者もいる。
福島県の須賀川で起きた事件というのは、江藤の逮捕により解決はしたが、人の心の闇は未だに底が見えない。
写真=八木澤高明