2022年3月でフジテレビを退社した福原直英アナウンサー。1992年にフジテレビに入社し、入社3年目から『スーパー競馬』の司会を務めるなど競馬番組を長く担当してきた“フジの競馬中継のエース”のひとりだ。一方で、『めざましテレビ』をはじめとするニュース・情報番組でも活躍し、ニューヨーク支局での勤務経験も持つ。

 そんな福原アナが、フジテレビを退社してフリーとなって業務提携をしたのがレジェンドジョッキー・武豊の個人事務所「テイク」。福原アナのフジテレビ時代のエピソード、これからの活動、そして競馬愛について、話を聞いた。

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「いざ実況するとまったく目の前のことがしゃべれない。覚えていても、知っていても出てこない」

——福原さんは競馬中継の司会に加えて、実況でも活躍されてきました。競馬実況も入社時から希望されていたのですか。

福原 いやあ、自分の声質的にも実況は向かないだろうと思っていました。ぼくがフジテレビに入社した頃は、それこそ杉本清さんとかそういうレジェンドの方々が現役バリバリで毎週実況されていましたからね。だから実況はそういう素養のある方々がするものだ、と思っていました。

福原直英アナウンサー

——なるほど。そこで実況ではなく司会者に、と。

福原 ただ、わりと先輩方を混乱させてしまったところがあって。「競馬やりたいんだったら実況だよね」とみなさん思われて。「いや、ぼくは司会をしたいんです」といってもなかなか。

 土日って、スポーツイベントがいろんなところで重なるので、その中で実況もしないのに競馬場にいるのは許されないと言いますか(笑)。だから、自然と実況の練習をはじめました。

 ただ、そうしたらまったくイメージ通りにできない。目の前のことがしゃべれない。大レースだったら、馬も勝負服をみればすぐに言えるし、馬番も覚えているんです。知っている馬ばかりですから。でも、その馬たちがいざ走り出すと言葉が出てこない。これはものすごくショックでした。

 

——ちなみにその頃のスターホースは……。

福原 トウカイテイオーですね。学生時代からずっと競馬を見ていたから、重賞レースなら知らない馬はほとんどいない。でも、それがまったく出てこない。ガツンとやられましたね。

90年代に活躍したトウカイテイオー ©文藝春秋

「このレースも自分じゃなくて先輩方だったら確実にそつなくこなしているんだろうなと」

——中継での実況デビューを覚えていますか。

福原 日曜日のレースで生放送に乗ったレースでは、1997年のクイーンカップだと思います。オレンジピールが勝ったレース。ただ、フジテレビには土曜日の夜に『中央競馬ダイジェスト』というダイジェスト番組があって、そこで土曜日のメインレースを実況付きで流していたので、声が乗ることはありました。