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未解決事件を追う

「警察には絶対に言わんとって。殺されるから」角田美代子の“喰い物”にされた一家の悲惨な末路とは

「警察には絶対に言わんとって。殺されるから」角田美代子の“喰い物”にされた一家の悲惨な末路とは

「尼崎連続変死事件」の謎 #2

2022/05/05

genre : ニュース, 社会

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未だ行方不明の信枝さんは上半身を裸にされていた

 信枝さんが姿を消したとされる03年10月の彼女の様子について、後に殺害された茉莉子さんがノートに書き残している。美代子から監視を命じられていたのか、時系列で看守の報告のように記載されていた(以下抜粋)。

〈10/1(※10月1日)

13:13 のぶえさんトイレ 胸かくさず堂々と歩く。

13:20 そうじ機かけさせてもらう。のぶえさん「ろう下でときます」。裕二さんおかしを机の上へ。

13:30 裕二さん横になってテレビをみている。のぶえさん横ずわりで床をみている。

14:42 のぶえさんトイレ。

15:30 のぶえさんは座っている間はずっとうでで胸をかくしている。

16:00 のぶえさんトイレ。

16:30 裕二さん体おこし正座したりひざたてて座ったりしている。皆無言。のぶえさんは変わらず両うでで胸をかくしたまま座っている。時々目をつぶっている。

17:40 のぶえさん変わりなし 裕二さん横になってニュースをみている。〉

 文面から想像するに、信枝さんは逃亡を防ぐため、上半身を裸にされていたようだ。さらに裕二さんと同じ部屋に監禁されている。

 この2カ月前の8月に初代さんは豊さんの手引きで逃亡(4年後の07年12月に住民票移転を機に発見、連れ戻される。09年6月死亡)、1カ月前の9月に豊さんが逃亡していた。

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 すでに信枝さんと裕二さんは“金づる”としては機能していない。なお、裕二さんはこの月に信枝さんと共に尼崎市に連れて行かれ、3カ月後の04年1月に暴行を受けた末、死亡している。はたして、そういった状況下で、信枝さんは逃げ出すことができたのだろうか。

 16年2月24日、私は神戸拘置所で角田瑠衣(姓は当時)と面会した。刑務所に移送される前の、2日限りの面会の2日目だ。「角田ファミリー」の一員であった彼女に、叔母である信枝さんのことを尋ねた。

「平成15年(03年)の10月に高松から尼崎に戻ってから、その月の12日に美代子の誕生日を大阪で祝ったんですね。その場には信枝さんもいました。けど、それからしばらくして、信枝さんだけ見なくなりました。信枝さんがいなくなったと美代子に言われ、私も一緒に探しに出た記憶があります。だから私はいままで、信枝さんは逃げたんだと思ってました。ただ、それから話題に上ることはほとんどなかったので、実際のところ、どうだったのかはわかりません」

 その後も手掛かりはほとんどなく、いたずらに時間だけが過ぎていったというのが、現実である。そして事件の記憶は、徐々に風化していく。

「警察には絶対に言わんとって。殺されるから」角田美代子の“喰い物”にされた一家の悲惨な末路とは

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