ふと顔を上げると、監督(※橋本さん)や抜け番のチームメンバーらの顔が見える。対局を見つめる目つきからすると、第三者的に見ても優勢のようだ。先手は(※雅浩さんが後手)それでも何とか絡みついてくる。丁寧に受けているうちに、いつのまにか逆転されるというのはいつものパターン。しばらく進んでようやく詰めろをかけた。
(中略)
このあたりでまた顔を上げると、目の前に長男がいる。自分の対局を終えて見に来たのだろう。開幕前は「15戦全敗」を予言していた長男だが、「とりあえず1勝」という私の目標は知っている一方で、私の弱さも知り尽くしている。
秒読み直前になっている私が目を合わそうとすると、照れくさそうに目をそらして後ずさりしていったが、明らかにニヤニヤとうれしそうな顔を噛み殺していた。この長男の顔を見て勝利を確信。
(中略)
途中の2八金あたりからはどうやっても詰むとわかって、手が震えた。相手が投了した時は、人生最大級のドヤ顔をしてしまったに違いない。
(2012年8月・小4)
「翌年、匠は奨励会に入りましたし、その少し前から大会は絞るようになっていました。この年の社団戦が、親子一緒に出られた最後の大会。そこで勝ったところを匠に見せることができて、とても良い思い出になっています」(雅浩さん)
鰻支部にはパパ仲間以外の会員も増え、橋本さんいきつけの鰻屋に集まったりして活動を続けている。「うな研」と呼ぶ例会に奨励会員となった匠さんを呼び、二面指し駒落ちで会員を指導してもらうことが何度もあった。参加者は匠奨励会員がプロになるのを楽しみに応援の言葉をかけていた。2020年、伊藤匠新四段が誕生したのは鰻支部や、かつての合宿仲間にとっても大きな喜びだった。
「たっくんを6歳くらいで初めて見たとき、その強さに驚嘆しました。その後、奨励会にも入ってプロになるのは間違いないと思っていましたから、ようやくその時が来たなと思いました」(橋本さん)
親たちの交流が、より将棋を楽しむことに
合宿に参加していた子どもたちには、三段を含む複数の奨励会員がいて、今後さらに棋士が誕生するかもしれない。また東京大、早稲田大、立命館大などに進学して大学将棋で活躍している子どももたくさんいる。
もちろん将棋を辞めてしまった子もいるけれど、変わらず親同士の付き合いは続いている。コロナウイルス感染症の流行が落ち着いた頃、鰻支部では伊藤父子を呼んでのお祝い会、合宿の中心メンバーだった仲間は雅浩さんを呼び親だけの会を開いてくれた。
鰻支部で匠新四段に贈ったのは、勝ち虫と言われるトンボ柄のメガネケースと財布、信玄袋のセット。縁起が良く和装に合う品で、プロとして勝ちまくってほしい、いずれはタイトル戦に出てほしいとの願いを込めて、橋本さんが選んだ。小さい頃から見守ってくれたお父さんたちに祝われて、匠新四段も雅浩さんも笑顔を見せた。
今、将棋に打ち込む子どもを持つ親たちの間では、ネット上での大会開催といった交流や活動もいくつかあるようだ。時代が変われど親たちの交流が、より将棋を楽しむことにつながっていく。
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