ルースのホームランの飛距離は“175メートル”
しかし、1918年のオープン戦で、いきなりホームラン2本を放つ。そのうち1本は、一説によると飛距離573フィート(175メートル)で隣のワニ園の池に落ちたという。
5月4日の登板日にシーズン1号を打つと、次の試合では初めて野手として「6番・一塁」で出場し再びホームランを放った。翌日には、通算417勝の剛腕ウォルター・ジョンソンから、3試合連続となるホームランを打った。6月の時点で当時の新聞は、ルースを「ホームランキング」「メジャーリーグ最高の呼び物」と称した。あまりの無双ぶりに、当時のコラムニストが、「ほぼ一人の力でペナントレースを勝ったようなもの」と評したくらいだ。
しかし、5月中旬くらいには、二刀流の負担に不満を漏らすようになり、腕の張りや疲労を理由に登板を拒否するようになっていた。野手としては、左翼(46試合に先発)、一塁(13試合)、中堅(11試合)を守った。
時代の異なる選手を比較する上で、上記のような成績を単純に比較することはできない。ルールやプレースタイルが時代によって異なるからだ。例えば、1918年は、まだ「デッドボール(飛ばないボール)時代」で、ボールがボロボロになるまで使われ続け、ボールに唾をつけたり傷をつけたりすることが許されていたこともあって、ホームランや得点の少ない投高打低の時代だった。なので、ルースはわずか11本でホームラン王に輝いている。逆に、2021年であれば防御率2.22は堂々のメジャー1位の数字だが、1918年では14位だった。
それに同時代であっても、本拠地球場の広さやリーグの違いを考慮する必要がある。打者に有利なクアーズ・フィールドでプレーするロッキーズの投手は、他チームの同じ実力の選手に比べて防御率は悪くなるし、逆に打者は成績が良くなる。
なので、「歴代で最高の選手は誰か」といった疑問に答えるには、「同じ時代や条件の選手と比べてどれくらい突出しているか」を測る必要がある。
1918年のルースは、本塁打と長打率とOPSでメジャー1位、出塁率は2位だった。これだけ見ても、打者としてのルースが飛び抜けた存在だったことは想像がつく。打者に専念する選択をしたのも納得がいく。
OPS以上に選手の打撃力を正確に示すのがwRC+という指標である。同じだけ打席に立ったその年のメジャー平均打者と比べて、どれだけ多くの得点を生み出しているかを算出する。四死球、単打、二塁打、三塁打、本塁打などの価値の違いを正確に反映し、球場やリーグの違いも考慮している。