『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(東畑開人 著)新潮社

 精神科医が開業するクリニックは、全国でそれほど珍しくなくなった。不眠や気分が落ち込むという理由で受診し投薬を受けるひとたちも、増えている。そんなとき、カウンセリングを選ぶひとは果たしてどれくらいいるだろう。そもそも、カウンセリングと精神科や心療内科の区別もつかないひとが多いのではないか。

 10年後に振り返ると、2022年はパンデミックと戦争が重なったハード・デイズとして語られるに違いない。でもいつの間にか、私たちはそれに慣れてしまっている。そこには、日本だけではないという一種のグローバリズムが加担している気がする。こんなに生きることが困難な時代や社会を、極小なひとりとして生きていくために、著者は「こころ」をキーワードとして差し出す。

 表紙の絵に惹かれて手に取り、小舟や夜の航海といった比喩にフワッと乗っかって読み始める。ぐいぐい引き込まれてページを繰っているうちに、いつのまにか夜明けの海にたどりついてしまう。読み終わると、自分の「こころ」に触れ、気づき、そうだったのかと新しく発見する。本書はそんなふうに読まれることが目的であるかに思えるが、そうではない。幾通りもの読み方が準備されていて、それが本書のすごさにつながっている。

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 全7章から成る構成は、周到に練られた順序で布置されており、最後まで読めば、一章がそれぞれ一冊の専門書に匹敵することがわかる。心理学だけでなく、臨床心理学も、精神分析も、ギリシャ哲学も、まるで押し寿司のように内容が積み重なっている。おまけに比喩と寓話が駆使されることで、わかる人にはわかるという玄人好みの味わいも用意されているのだ。本を読む人が少なくなったので、わかりやすさや単純化に走る書籍が増えている。多くのビジネス書や自己啓発本なども具体的な方法論抜きには語れない。そんな中で、複雑なことを複雑なままに、しかもわかりやすく書くことはどれほど大変だろう。わかりにくい、わりきれないことを、補助線とともにスッパーンと描くことを、著者はやってみせる。

 もうひとつ、本書から伝わってくるのは危機感である。近年、企業などでは従業員のメンタルヘルスへの対応が重要視され、医師への受診や認知行動療法のプログラムへの参加が推奨される。そんな時代に「こころ」とはどう位置づけられるのだろう。「こころの時代」という言葉も、今ではテレビ番組のタイトル以外にあまり目にしなくなった。本書の底流には、「こころ」をめぐる危機感と問いかけがある。もっとも早く危機を察知した人によって未来は切り拓かれるとすれば、「こころ」やセラピーをめぐって再定義をこころみる著者は、心理士の今後を担う存在に間違いないだろう。評者は同業者として共感とともにエールを送りたい。

とうはたかいと/1983年、東京生まれ。臨床心理士・公認心理師。白金高輪カウンセリングルーム主宰。著書に『野の医者は笑う』『居るのはつらいよ』『心はどこへ消えた?』など。
 

のぶたさよこ/1946年、岐阜県生まれ。公認心理師・臨床心理士。原宿カウンセリングセンター顧問。著書多数。