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「一番向いている職業は、『詐欺師』とか良く言ってるけど…」数々のアイドル・芸能人を世に送り出した秋元康が明かす“意外な自己分析”

『放送作家ほぼ全史 誰が日本のテレビを創ったのか』より #1

2022/05/29

genre : エンタメ, 読書

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中央大学文学部に進学後、本格的に放送作家に

 そんな秋元が放送の世界に入ったきっかけは、高校時代に聴いたラジオの深夜放送である。それは、当時若者に人気を誇ったコメディアン・せんだみつおがパーソナリティの『燃えよせんみつ足かけ二日大進撃』(ニッポン放送、1974年放送開始)という番組だった。そのなかに、「せんみつの深夜劇場」という、古今東西の名作をパロディにするコーナーがあった。

 ある日、そのコーナーを聞いて「何か、自分でも書けるような気がした」秋元は、試験勉強も忘れて、『平家物語』のパロディをノート20頁にわたって徹夜で書き上げた。普段から下ネタ満載のそのコーナーに合わせたエッチなものだったが、番組宛てに送ってみた。するとそれが担当者の目に留まり、スタジオに遊びに来ないかと誘われるようになった。そして、その番組の構成作家だった奥山侊伸の弟子として、中央大学文学部に進学後、本格的に放送作家になった(秋元康『さらば、メルセデス』、71‐76頁、126頁)。ただ、すぐに放送作家としての仕事が大忙しになったため、大学は中退することになる。

秋元康ととんねるず、そしておニャン子クラブへ

 こうして放送作家になった秋元康は、若さを生かし、テレビやラジオの番組を数多く掛け持ちする売れっ子になった。そのなかで最も重要な出会いとなったのが、とんねるずとの出会いである。

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 最初のきっかけは、『モーニングサラダ』(1981年放送開始)という日本テレビの朝の番組だった。とんねるずのネタを気に入った秋元康が、彼らを「お目覚めコント」という1分間のコーナーに抜擢したのである。そこから両者の交流が始まった(『秋元康大全97%』、181頁)。

 そして1983年、フジテレビで『オールナイトフジ』がスタートする。一般の女子大生が司会やレポーターをする土曜の深夜番組で、台本の読み間違えやたどたどしいレポートぶりなど、素人っぽさが大きな反響を呼び、一躍「女子大生ブーム」を巻き起こした。秋元康はこの番組に構成作家として参加、その縁でとんねるずが起用されることになる。

 ここでとんねるずは、彼らが得意とする体育会系のノリでスタジオ狭しと暴れ回り、若者のあいだで人気を得るようになる。その象徴とも言えるのが、カメラ引き倒し事件だ。

石橋貴明氏 ©文藝春秋

 1985年1月のこと。とんねるずが番組内で持ち歌の『一気!』(1984年発売)を歌った。学生の飲み会の盛り上がる様子を歌ったコミックソング的な内容で、作詞はもちろん秋元康。曲中、学ラン姿のとんねるずの2人はいつものノリで歌いながら激しく動き回り、暴れていた。すると、調子に乗った石橋貴明に引っ張られ、揺さぶられたテレビカメラが倒れ、レンズが破損するなど壊れてしまった。「やっちゃった」という表情の石橋と、呆然とする木梨憲武。