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家族を見捨てられなかった者が犯す罪
NHKスペシャル取材班『「母親に、死んで欲しい」 介護殺人・当事者たちの告白』(新潮社)
殺人者は異常者か特殊な環境にある者であって、「普通」の自分とは隔たりがある。あるいは自分は殺人を犯すことなど、この先もない。多くの者がそう信じていよう。
しかし「介護殺人」には普通の、道徳的な者が陥る。なぜなら介護は誰の身にも起き、また介護殺人は家族を見捨てられなかった者が犯す罪だからだ。
本書にしたがえば、男も女も、夫も妻も、息子も娘も介護殺人の当事者となり得る。テレビ局を早期退職して経済的に恵まれている者だろうが、介護職20年のキャリアをもつ者だろうが、だ。
追い詰められたら助けを求め、社会はそれに手を差し伸べる、こうした仕組みをつくることが介護殺人を未然に防ぐと執筆者は言う。逆をいえば、助けを求めにくい、他者に手を差し伸べない社会が介護殺人の温床となる。つまりは流行りの自己責任社会だ。
ノンフィクション作家・本田靖春は『疵』で、戦後の混乱のなかでヤクザになる者とそうでない者とは「襖(ふすま)一枚分の隔たりしか持たなかった」と書いた。現代の自己責任社会にあっては、介護殺人する者とそうでない者とは、襖一枚分の隔たりさえ持たずにいる。