――それでも保育の道にこだわったのはなぜですか。
小阪 私が「もう一度生きよう、ここから這い上がろう」と思えた理由が、保育だったからです。保育以外の道に逃げたら、「這い上がろうとした意味がなくなっちゃう」という思いもありました。だから、「どんなに道が険しくとも、保育園の先生にならなきゃダメなんだ」と考えていたんですよね。
それに今思えば、その時の私には子どもたちの純粋な力が必要だったんだと思います。色々辛い経験も重ねて、人を信じるのが怖くなってしまっていたので。
“洗脳”から抜け出す前に受けた肉体的な暴力
――“洗脳”されている状況からは、最終的にどうやって抜け出したんですか?
小阪 急激に体重を増やしたことで、まともに日常生活を送れなくなったことが大きかったです。腰痛も股擦れもひどいし、歩いていてもすぐに体力がきつくなって、しゃがみ込んでしまう。
だから彼女に「もうこれ以上は太れない」と伝えました。そしたら、彼女からの“いじめ”が始まったんです。洗脳が解け始めたことに気づいたからか、“言葉の暴力”を浴びせて、私の心を折って……。彼女にとって、私の回復は気に入らなかったのかもしれません。自分の思うような奴隷じゃなくなったので。
――小阪さんをもう一度“完全に支配”しようとしたんですね。
小阪 私は彼女への恐怖心やストレスからなのか、顔の半分が痙攣するようにもなってしまって。体中の至るところが「もう無理」って限界のサインを出していました。
そしてとうとう、彼女から肉体的な暴力を振るわれて……。体を蹴られて、床にはっ倒され、そのあとも何かされそうになったところで、周りが止めに入ったんです。
前々から「彼女におかしいことを言われているし、されているな」と気づいてはいたんですが、その時に「あれ、これはれっきとした虐待じゃない?」と思って目が覚めました。
そのあとに意を決して、彼女とはきっぱりと連絡を断つことにしました。プライドの高い方だったので、特に追いかけられることもなく。思ったよりスパッと縁が切れたのはよかったです。
――そのあと無事に保育園で働くことができた、と。
小阪 芸能に理解がある園長先生に出会って、アルバイトの保育補助として採用してもらうことができました。先ほどお話ししたように、過去の経験が邪魔をしてしまって、面接に何度も落ちて苦労しましたけどね。
写真=杉山拓也/文藝春秋