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 近藤勇をはじめとする旧幕府軍は、そうした河岸町にやってきた。ここで部隊を立て直して官軍を迎え撃つか、それとも北に進んで会津に向かうか。結局、官軍も流山に押し寄せてきたので近藤勇は自ら投降することで流山が戦場になることを防いだ、と地元の観光案内のおじさんが言っていた。つまり、おおたかの森と近藤勇は何の関係もありはしない。

 そしてその頃のおおたかの森駅周辺は、文字通り何もない森であった。1911年には現在のアーバンパークラインがこの場所を通っているが、流山おおたかの森駅はもちろん設けられていない。

 駅名にある“おおたか”は、文字通りオオタカが生息する森があったから。いまの賑わいぶりからは想像も及ばないような、住宅地とはかけ離れたところだったのだ。

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 そこにつくばエクスプレスが通ってすべてが一変した。駅名はオオタカが生息する一帯だったことからいただいたものだ。実際、駅周辺の開発にあたっては、オオタカの生息地が失われることを危惧した地元の人たちによる運動もあって、森の一部を保全林として開発対象から除外することになった。

 そのおかげでいまもオオタカがいるらしく、ときおり駅に迷い込んでくることもあるという。流山おおたかの森は、近藤勇とは関係ないが名の通りにオオタカとは実に深い関係を持っている。

「20世紀のニュータウン」を乗り越えられるのか

 何もなかった森の中に、2005年に新しい鉄道が開業し、瞬く間に開発が進んで巨大な市街地が誕生。人口増加率日本一という栄誉に浴する、全国的に見ても希有な“右肩上がり”の流山おおたかの森。

 

 都心からの近さと緑豊かで大型ショッピングモールもあるという恵まれた住環境、それでいてマンションなどの価格も東京都内と比べれば圧倒的な割安感。これほど好条件が揃っていれば、これからもしばらくは上昇気流は止まらないだろう。

 ただ、1960~1970年代にも全国あちこちに同じように上昇気流に乗ったニュータウンが誕生した。そうした町の多くは、当時入居した人たちがそのまま高齢化し、新陳代謝が進まずに苦境にあえぐ。流山おおたかの森がその轍を踏むのか否かは、これからの街づくりにかかっている。