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一日の間に数店舗をヘルプでかけもち

 7年前に籍をいれた山田さん夫妻は、同じ年に愛知県内に一軒家を購入。愛犬や愛猫に囲まれながら、2人で慎ましい生活を送ってきたという。だが、その生活は今年1月に唐突に終わりを告げた。

 最愛の妻の死から4ヶ月経った5月19日、記者は直樹さんの自宅を訪れた。自宅に設えられた加奈子さんの祭壇にはビールの缶と共に動物の絵本が供えられていた。直樹さんは目に涙を溜め、肩を落として語り始めた。

妻の死について語る山田直樹さん ©文藝春秋

「結婚はまだ数年ですけど、妻とは20年以上の腐れ縁なんです。加奈子はお酒好きの勝気な性格で、何度もケンカをしましたけど、いなくなるとこんなにショックを受けるとは自分でも思っていませんでした……。

 妻はもともと、体が強いほうではなかったのですが、それでも数年前からファミレスやカラオケ店などでパートタイムで働いていました。『すき家』には2、3年程前からお世話になっていたと思います。生活が多少苦しかったこともあり、シフトは時給がいい夜勤を希望し、21時から5時までフルに入ることが多かった。最初は、近所にある『すき家』で働いていたのですが、パート勤務のせいかシフトがバラバラで1週間みっちり働く週もあればほとんど勤務がない暇な週もありました。

亡くなる前日「頭がクラクラする」と訴えていた加奈子さん

 ただ、他店舗で人員が足りないときにヘルプで呼ばれることも多くて。車で1時間以上かけて、他の店舗に行き、深夜に働いて帰ってくることもしょっちゅうでした。一日の間に数店舗をかけもちしてバイトすることもあったので、無理がたたったのだと思います。ここ数ヶ月は体調もあまりよくなくて、病院で点滴を打ってもらったあとに『すき家』に行くこともありました」

 亡くなる前日、加奈子さんは「頭がクラクラする」と不調を直樹さんに訴えていたという。

「そんな状態の妻を『何で仕事に行かせたんだ?』って思うかもしれませんが、彼女は責任感が強く、急に休んで店に迷惑をかけるのを絶対に嫌がる性格なんです。私が止めても『意地でも行く』と言って……。

©️iStock.com((写真はイメージ)

 1月16日は21時から『すき家』に行って働き、その後、深夜に自宅から15キロ以上離れた港区の別の店舗に車で移動し、助っ人としてワンオペで働いていたようです。妻が倒れたのは17日の午前5時すぎだったと聞いています」(同前)

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