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公共の場所でも裸OK、混浴スパ、ヌードクラブ…“全裸パフォーマンス”に出演した日本人が語る「謎すぎるオランダの“裸観”」と「裸の居心地よさ」

公共の場所でも裸OK、混浴スパ、ヌードクラブ…“全裸パフォーマンス”に出演した日本人が語る「謎すぎるオランダの“裸観”」と「裸の居心地よさ」

2022/07/12

genre : ニュース, 国際

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「脱ぐ」のは「暑い」と感じることへの自然な反応

――服を脱ぐのには抵抗感はなかった? 

Akari それが、特に何も思わなかったんです。明るい体育館みたいな場所で、30人の知らない人たちと一緒に服を脱いで何も思わないなんて驚きだし、ちょっとおかしかったですね。

 自分の体への視線は全く感じなかったし、みんな普通に脱いでいたっていう環境が大きかったのかもしれません。ウォーミングアップ中にみんなが脱いでいるのを見ながら、「あ、こういうものよね」って感じで。結構身構えて参加したので、逆に「初めから脱がないんだ」ってびっくりしたくらい。

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(ドリス・ウーリッヒ氏の公式サイトより)

私にとっては、思いやりにあふれた空間だった

――そういう素地は自分自身のなかにあったんですか? つまりスタイルに自信があるとか。

Akari 全然! むしろ逆で、だからこそ振り切れたのかもしれません。私、学生時代に同級生の男の子から、体毛が濃いっていう意味で「おい、すね毛!」って呼ばれたことがあるんです。それ以来、身体へのコンプレックスは意識的にも無意識的にも態度に出ていました。中学生時代なんて、年中長袖のブラウスを着ていたこともありましたしね。

 だからこそこのパフォーマンスに参加したいと思ったし、変な話ですけど、ここで裸になることへの抵抗感がなかったんだと思うんです。

 参加してわかったのは、当たり前だけどいろんな体があるってこと。性別関係なくおへそも、太ももも毛むくじゃらの人もいたし、全然毛が生えてない人もいたし。たくさんの裸に囲まれて、今までは毛が濃い自分の体は普通じゃないと思っていたけど、「何でもいいのか!」って。

 私にとっては、思いやりにあふれた空間だったんですよね。

(ドリス・ウーリッヒ氏の公式サイトより)

――目のやり場に困ったりしませんでした?

Akari 性的な対象として見ているわけじゃないから、困ることはなかったかな……。意外に裸であることにそこまで意識がいかないというか。ダンスのなかで「誰を持ち上げる?」みたいなパフォーマンスについての議論も裸でしたし、練習中だけじゃなくて、休憩中も裸でそのまま会話していました。