〇〇はその母体となった教派からタリバンが出たとはいえ、全世界で数億人の信徒がいるポピュラーな一派で、それ自体が“危ない”わけではない(昭和の政治テロに日蓮主義の影響があっても、日蓮宗が危険ではないのと同じことだ)。ただ、他ならぬ自分の街に、〇〇系のモスクは「来てほしくない」。こうした考えはポリコレやダイバーシティの観点からは好ましくないはずだが、地元の人間として私はそう言いたい。
炸裂する地元のネットワーク
さておき、能登川アンヌルモスクはインドネシア人たちのいい感じの社交場だった。私が普段追っているベトナム人労働者の場合、賭博や飲酒で身を持ち崩す例をよく見るが、「気楽」とはいえイスラム教徒が多いインドネシア人は、これらが相対的にすくない。同胞と健全に交流できるモスクは、インドネシア人技能実習生のモラルを維持するインフラ施設としての側面もあるように思える。
だが、謎は残った。モスクがある集落(旧「能登川村」)周辺は地域住民のつながりが強く、伝統が色濃く残る。しかも、ただでさえ知名度が低い滋賀県の、さらにマイナーな集落なので、ろくに観光化もされていない(一応、隣の伊庭集落が平成27年の日本遺産の構成要素に選ばれているが)。つまり外国人と縁は薄い。なぜ、そんな村にモスクができたのか。
「たしかに、けっこう封建的な土地柄ではあるんです。むかし(明治22年)、駅がこの近くにできるはずでしたけれど、村の者が『汽車でよそから変な者が来ては困る』と嫌がったので(1kmくらい離れた別集落の)垣見に“能登川駅”ができたし……。でも、ここは近江商人が多く出た村ですから、柔軟な部分もあるわけですよ」
能登川自治会の当時の相談役(前自治会長)で、2020年初頭にモスク側との折衝にあたった70代の男性A氏はそう話す。なお、彼については私の母の友達の知り合いの知り合いという地元のネットワークを通じて取材できた。A氏は海外旅行が趣味で、イスラム教にも理解がある人物だった。
「イスラムの方が礼拝堂を探していて、たまたま空いていたあの建物を買いたいと。その話に当時の自治会役員が困っていて相談されたので『ええと思う』と伝えました。ただ、地元の住民は過激派なんかを心配していたので、私がモスク側と会って話をすることになった。『ここの人は田舎の人間だから怖がってる』と率直に言ったら、むこうが日本語のしっかりした文書を作ってきてくれて」
能登川自治会、未知との遭遇
それでも心配する住民が多かったので、2020年2月7日に説明会が開かれた。開催にあたっては、集落内に4ヶ所ある掲示板と、14ある「組」を通じて回覧板で連絡をおこなったところ(※集落内の情報伝達にメールやLINEは使わない)、地域の180世帯のうちで30人ほどが説明会にやってきた。
「説明会でモスクの人に実際に会ったら、穏やかでほんわかした人たちやし、声高に反対したら気の毒やなあみたいな雰囲気になって。田舎の人には好かれる感じの人たちやったんですよ。それに、あのビルは長く空いていて、地域のお荷物になって困っていたので、それを買って、直してきれいに使ってくれるならええやないかと」
実際、モスクができてから地域とのトラブルは一切起きていないという。確かにモスクの取材中も、隣の家の人がインドネシア人たちに普通に挨拶していた姿が印象的だった。