──2022年5月25日の夕方、岐阜県土岐市土岐津町で、私たちは大いに焦れていた。近くの山には室町時代初期に美濃国守護に任じられた土岐氏の城があったといい、この集落もかなり歴史が古そうだ。
目の前にあるのは2階建ての木造民家である。玄関の奥は土間だ。また、家屋の東側には壁にトタン板が貼られた工場(「こうじょう」ではなく「こうば」と読んでほしい)が隣接している。ぱっと見ただけでは何の変哲もない……。たとえば私が小学生のときには、こんな感じの家に住んでいる同級生がたくさんいた。
ただし、ここが普通の家屋と違うのは、壁に「アルヒダーヤ・マスジッド土岐」(以下、土岐モスク)と書かれた布が貼ってある点だ。つまりイスラム教の礼拝施設なのである。工場の入口にある屋外向けトイレに入ってみると、便器の隣に日本ではほとんど見かけないミニシャワーが設置されていた。これは用便の後にお尻を洗うときに使うもので、イスラム圏のトイレではおなじみだ。(全3回の3回目/#2から続く)
「ハロー」「スリランカ人です」
太陽は西の山稜になかば沈み、マグリブ(夕暮れの礼拝)の時刻が近づいていたが、玄関は施錠されており人の気配はない。4日前にここに来たときもやはり無人だった。2回連続での空振りは、よくある話だがしんどい(在日外国人の取材は、コミュニケーションの問題に加えて、先方が準備していない状態のほうがおもしろい結果につながりやすいので、あまり事前のアポを取らない)。
ひとまず夕食に行こう。私たちは収穫がないことに肩を落としつつ、土岐川の方角に向けて移動しはじめた──。が、車を数百メートル走らせたところで、携帯電話を片手に路肩を歩いている浅黒い肌の中年男性を見かけた。この場所であの外国人とは、モスクの関係者ではないか。
慌てて車をUターンさせて男性を追跡すると、案の定、モスクに向かって進んでいく。彼がモスクに到着したのを見届けてから、車を降りて話しかけた。いつの間にか、工場の入口にはもう1人、ひげを生やした南アジア系の若者も立っている。
「ハロー。どこの国の人ですか?」
「私たち、スリランカ人です」
さきほど路上で見た男性が、まずまず流暢な日本語で答えた。彼はレフカンさん(42歳)。コロンボの近くの出身で、建設の仕事をしているという。もう1人の若い男性はシファンさん(25歳)で、セイロン島北東部のトリンコマリー出身だ。日本の自動車をスリランカに売る仕事をおこなういっぽう、礼拝を取り仕切るイマームとして活動するべく勉強中という。
組織力や資金力があるモスクは専従のイマームを抱えているが、この土岐モスクのような小さな施設では、信徒の共同体のなかで知識が深い人や真面目な人が担当する。25歳にしてイマーム役を担うシファンさんは、よっぽど人徳のある人なのだろう。
すでにマグリブの時間を20分くらい過ぎていたが、いまから2人でお祈りするという。礼拝場所になっているのは、このトタン板の工場の2階スペースだ。裾が足首まで届く南アジア風の貫頭衣姿になり、礼拝帽をかぶったシファンさんとともに、レフカンさんが階段を登っていく。私たちも許可を得て、それに付いていった──。