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5枚の「運の法則シール」が語ること

「この家はもともと、陶器を作る職人の家だったのかな。10年ぐらい前に廃業したといいます。元の持ち主の家族は、新しい家を建てて、他のところに住んでいるみたい」

 アグスさんは言う。土岐モスクは面積が広く、特に母屋部分は1階のミーティングルームと、事務室として使われている玄関脇の小さな洋室、さらに台所とトイレくらいしか活用されていないようだ。2階については、物件の購入時からほとんど手つかずらしく、各部屋には汚れたマットレスや洋食器が放置されていた。

 過去、この家に住んでいた住民の個性がうかがえる遺留物は──。じっくり探してみると、残置された鏡台の後ろに、頭の部分が剥がれてしまったアニメ版『SLAM DUNK』の桜木花道のシールと、ロッテのウェハース菓子のオマケシールが貼られたままになっている部屋を見つけた。

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『運の王様』は「悪魔VS天使」ではなく「幸運・不運・悪運」の3パターン。シールはこの写真では陰になった部分に、さらに3枚並べて貼ってあった。2022年5月25日。撮影:Soichiro Koriyama

 この正方形のキラキラしたものは、おなじみの「悪魔VS天使」のビックリマンシールではなく、ブーム終焉から数年を経た1995年にロッテが発売したものの、ヒットせず消えた幻の菓子『運の王様』の運の法則シールである(同年4~12月に『コミックボンボン』でマンガ展開もしている)。シールはすべて上向きに、きっちりと等間隔で5枚を並べて貼ってあった。

僕たちの「昨日の日常」、モスクに変わる

 オマケシールを無邪気に集める幼さが残るが、繊細な貼り方ができる程度には手先が器用で賢い子。往年のこの部屋の主は、小学4~6年生の男児というイメージだ。『運の王様』の発売時期から逆算すれば1983~1985年生まれくらい。私よりも数歳若いが、本州内陸部の田舎の小学生としてよく似た少年時代を送った人だろう。

外にはモスク設立時にトルコ人たちが片付けた前住民の残置物が積み上がっていた。青い車のおもちゃの持ち主も、部屋にオマケシールを貼っていた子と同じ人だろうか。2022年5月25日。筆者撮影。

 この家にはかつて、土岐市の伝統工芸産業(陶器)の小さな工場を家族で経営する夫婦と、ちょっと几帳面な性格の男の子が住んでいた。両親は当時すでに流行遅れだったオマケシール付き菓子を、最低でも5枚は買ってくれるような、子どもに優しい人だった。いっぽうで男の子は、ずっと遠くの大都会で起きた阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の報道に驚く大人の姿を眺めつつ、『コミックボンボン』とアニメ版の『SLAM DUNK』に熱中していた──。

 平成1ケタ台の時代、日本全国のあちこちの家庭で見られたはずの日常風景が目に浮かぶ。そうした家のひとつが、令和の現在は異国の人たちが集まる信仰施設に変わり、スリランカのムーア人ジェノサイド問題やアフガニスタンの米軍の撤退問題と地続きの場所になっている。

 岐阜県の中央自動車道沿いの集落で、黄昏の太陽を背に受けながらはじめた取材は、妙にノスタルジックで切ない思いがこみ上げるものだった。