カンダハルから土岐市へ
「私の仕事は建設業の基礎工事の技術者です。外国に働きに行くことが多くて、昔はサウジアラビアで10年働いて、それから2011年から2014年までの3年間、アフガニスタンで働きました。勤務先はカンダハルにある駐留アメリカ軍の基地です」
何事も経験だと考えていた当時の彼が選んだ働き場所は、アフガニスタンの米軍基地だった。この日の彼はちょうど入管帰りだったので、当時の勤務歴を証明する書類も見せてくれる。
「他に働いていたのはキルギス人とバングラデシュ人。もちろんアフガニスタン人もいました。ただ、あまり宗教的に厳格なタイプの人はいませんでしたね」
それには理由があった。契約は1年更新となっており、すこしでも問題があったり、米軍に反抗的な気配がある者は辞めさせられたからだ。当然、敬虔なムスリムは米軍の警戒の対象になる。いっぽうでレフカンさんは従順で、米軍基地に適応して3年働くことになったのだが、それがやがて裏目に出た。
「帰国後、米軍に協力したという理由で、スリランカ国内の過激派のイスラム教徒から狙われたんです。それで逃げざるを得ませんでした」
カンダハルの基地を離れた1年半後、妻子をスリランカ国内に残したまま亡命し、やがて日本の土を踏んだ。幸いにして、悪名高い牛久の入管収容施設には入れられず、難民申請を続けながら仮釈放状態で暮らしているようだ。2021年、アフガニスタンでは米軍の撤退後にタリバン政権が巻き返したが「コメントする気にならない」という。往年の3年間の仕事が、人生を完全に変えてしまったのだ。
モスク設立費用は1500万円
話を聞き終えた頃合いで、イシャー(夜の礼拝)の時間になった。再び礼拝堂に移動すると、さすがに夜は時間がある人が多いのか、土岐市の付近に住むイスラム教徒たちが13人ほど集まっていた。そのうち、インドネシア人のアグスさんは、土岐モスクの事務方の代表者の1人で、設立の経緯にも詳しかった。
「もともと、ここから100メートルぐらい離れた場所で、部屋を借りて、小さいモスクにしていました。18年間借りていたんですが、建物が古くなって、大家さんがつぶすと言いました。なので、別の場所をさがしたら、この家が空いていました」
他の人の話も総合すると、近隣のスリランカ人を中心に、インドネシア人やパキスタン人からも1500万円ほどの寄付金を集めて物件を買ったらしい。
また、現在はモスクの駐車場になっている場所にも別の1棟の建物があったが、在日トルコ人たちのグループが無料で解体してくれた。愛知県の津島市あたりに住んでいるオルドゥ出身の解体業者ギルド(#1参照)が、モスクへの奉仕に動いたのだろう。国籍は関係なく、日本国内のイスラム教徒同士にはヨコのつながりがある。
新モスクの開設にあたっては近隣住民への説明会も開いたが、もともと近所に18年間存在してきた施設の引っ越しなので、古い集落の一軒家のモスク化にも反対の声は上がらなかった(ただし、開設後の地域住民との交流もほとんどないようである)。