2022年5月、「イスラミック名古屋」(#1参照)の取材を終えた私は狼狽していた。中京圏は首都圏以上にモスクが多く、Google Mapsで検索すると、愛知県瀬戸市・岐阜県土岐市・三重県鈴鹿市など、かなりマニアックな地方都市にも赤地に星と三日月のモスクマークが出てくる。それらを眺めつつ、鈴鹿市から御在所山を抜ける方向に画面を何気なくスライドさせると……。驚くべき施設が目に飛び込んできたのだ。

 ──その名は「MASJID AN-NUR NOTOGAWA」(能登川アンヌルモスク)。住所は滋賀県東近江市能登川町。冗談抜きで、私の“マジ地元”である。

Google Mapsで確認すると、滋賀県下のモスクは、立命館大や龍谷大など留学生が多い大学が近い南草津と、あとは能登川だけだ。

 私の故郷は、2006年に平成の大合併で滋賀県東近江市に編入されるまでは滋賀県神崎郡能登川町といった。今回のモスクは、1942年の能登川町制施行以前からの地名である「能登川村」の集落内にあり、私が育った旧〇〇村とは厳密には異なる地域だが、とはいえ町制時代は同じ町内だ。

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 実家からは直線距離で1.5キロほど。当然、路地のほぼ1本1本まで土地勘がある。つい1ヶ月前にも、帰省中に歯の詰め物が取れ、近くの歯医者で応急処置をしてもらったばかりだ。

 これは現場を見たい。私たちはさっそく、前の取材先の愛知県から名神高速を西に進んだ。一宮を過ぎ、木曽川・長良川・揖斐川を続けて渡って養老の山並みを眺め、右手に霊峰伊吹山を仰いで関ヶ原トンネルを抜けると、そこはもう我らが滋賀県である。(全3回の2回目/#3に続く

陽気なインドネシア人が続々出てくる

「こんにちわあああー!」

 5月22日11時半、もとは中小企業の社屋だったらしき古いビルのガラス扉を開けると、薄い顔立ちに浅黒い肌の若者たちが、やたらと陽気な様子で挨拶してくれた。

 部外者がノーアポで訪問したにもかかわらず、誰もがなんとなくニコニコしている。前日に出会った生真面目なトルコ人やパキスタン人たちと比べると、圧倒的にユルい空気感だ。彼らの顔だちや雰囲気から、どこの国のどういう人たちかはなんとなく見当がついた。

かつて給湯室だった場所で食事を作る。建物はかつて中村織布という紡績会社の社屋だったが、25年ほど前に事業を終了。その後は廃ビル同然だったのが、2020年にモスクに変わった。2022年5月22日。撮影:Soichiro Koriyama

「あなたは、インドネシア人ですか? 技能実習生?」

「はーい。そでーす。インドネシアじん。じっしゅーせー」

「わたしは、このモスクを、見たいです。見ても、いいですか?」

「いーです、よー」

 3階建ての建物は、いずれのフロアにも礼拝が可能な広さの空間があった。子ども用のおもちゃが置かれた1階は女性信徒向け、2階が男性信徒向け。3階はミーティングスペースだろう。