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「大連から貨物船に乗って行ったよ。船の底に乗っていったんです」 密航者と売春で溢れたかつての“横浜・中華街のリアル”

『裏横浜 グレーな世界とその痕跡』より#1

2022/06/14

genre : ライフ, 歴史, 社会

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纏足の女性に漂う艶かしさ

 劉さんの暮らす村から、さらに30分ほどで、纏足の女性が暮らす村についた。劉さんが知り合いに頼んで、探してもらうと、一軒の石造りの民家へ案内された。その民家の門前でひとりの老婆が日向ぼっこをしていた。

 その足に目をやった時、私は自分の目を疑った。老婆の足はあまりに小さく、人間の足には見えず、羊の蹄のように見えた。老婆は纏足を凝視する私に気がつくと、すぐに家の中に隠れてしまった。

 私は老婆の写真が撮りたいと思い、家の中へ入った。はじめは写真を拒んでいた老婆だが、劉さんが、説得してくれたおかげで、写真を撮らせてくれた。

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 昔ながらの服装で、カメラを見つめる纏足の老婆からは、艶かしさを感じた。

※写真はイメージ ©iStock.com

 老婆の名前は、林金花さん、83歳。3歳の時、母親から布で縛られ、纏足にさせられた。彼女の足の倍以上の大きさがある最近の女性たちの足についてどう思うか尋ねた。

「前の時代のほうがいいよ。みんな足が大きくなってしまって、きれいではないね。だけど時代の流れだから仕方ないね」

 中国の大部分の街では失われた纏足という風習が、残っているのが福建省だった。そのことが意味するのは、地理的な要因もあり、海を通じて海外とは繋がっていたが、中国国内の他の街とはあまり接触がなく、昔からの風習が残ったのではないかということだ。人の移動を拒む、地理的な制約があった。それゆえに人々の目は、内陸ではなく開かれた海の方を向いたのだった。華僑、纏足、蛇頭というキーワードは密接に繋がっていた。

 華僑の人々にとってのフロンティアのひとつが横浜の中華街だった。今日中華街を歩いてみれば、安く中華料理を楽しめる食べ放題の店が目につくようになった。かつて、正月に家族で歩いたような異国の雰囲気は薄れてしまったのかもしれないが、それも仕方あるまい。街は時代の流れによって変化していくものなのだ。(#2に続く)

「大連から貨物船に乗って行ったよ。船の底に乗っていったんです」 密航者と売春で溢れたかつての“横浜・中華街のリアル”

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