「ビザは?」「船の底に乗っていったんですよ」
それから、10年以上の年月が過ぎ、福建省で密航者に話を聞く機会に恵まれた。その日、私は纏足の女性がいるという村へタクシーで向かっていた。
タクシーの運転手は、私が日本人だとわかると、九十九折りのくねくねした道を走りながら、日本へ働きに行ったことがある女性に電話をかけてくれた。
海辺の小さな町でタクシーが止まると、しばらくしてひとりの女性が現れた。年は50歳ぐらいに見えた。
「こんにちは、日本の方ですか?」
タクシーに乗り込んでくるなり、日本語で話しかけてきた。彼女の名前は劉さん。中国に帰ってきてからは、日本人に会ったことがなかったので、久しぶりに日本語を話したいのだという。彼女が日本に行ったのは、2000年のことだったという。
「劉さんは日本のどこに行っていたんですか?」
「横浜なんですよ」
「何をしていたんですか?」
「いろんな仕事をしたんですよ」
仕事に関しては、あんまり話したくないのか、これ以上触れたがらなかった。
「中華街の梅蘭の焼きそばが私は大好きだったんですよ。今でも食べたいなって思い出します」
まさか、密航したと思っていたわけではないが、念のためどうやって日本に行ったのか尋ねると、思わぬ答えが返ってきた。
「大連から、貨物船に乗って行ったよ。石を運んでいる船です。横浜の港についたんです」
「ビザはあったんですか?」
「そんなのないよ。船の底に乗っていったんですよ」
密航したことをあっさりと打ち明けてくれたのだった。横浜の埠頭に密航船が着くという話を聞いたことはあったが、当事者に会えるとは思いもしなかった。
劉さんは、どこにでもいるような普通の女性だった。そんな女性が、海を渡る際に密航という手段を選ぶ。しかもあっけらかんとしている。中国の図太さに改めて、いい意味で感心した。