1ページ目から読む
2/4ページ目

 そういうわけで、川越のイメージを決定づけている“蔵造りの町並み”と“小江戸”。東武とJRの川越駅は本川越駅よりも南側にあるので、小江戸・川越へのアクセスという点では圧倒的に本川越駅の方が優れているということになる。そして、川越の町にはじめてできた駅もまた、西武新宿線の本川越駅である。

 

平安時代に端を発する川越の町

 せっかく歴史的な町並みに触れたところで川越の歴史をおさらいしておこう。川越は、入間川が荒川に合流する地点にあって、平安時代から鎌倉時代にかけては河越氏が治めていた。その河越氏の中で、平安末期に活躍した河越重頼の娘は源義経に嫁いでいる。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出てきた“里”がそれだ。すなわち、河越氏はかなり大きな勢力を誇っていたのだろう。

 室町時代には太田道灌が河越城を築き(それがいまの川越城のルーツである)、上杉氏と北条氏がこの地を巡って争った。最終的には北条氏が関東の覇者となったので、川越も北条氏のもとで発展することになる。その当時、のちの大東京、江戸は都市というほどではなく、むしろ川越の方が都市としては規模が大きかったという。

ADVERTISEMENT

 

一大ブームを巻き起こした川越の名産品とは?

 とうぜん、そうした都市としての川越の流れは江戸時代にも引き継がれ、北の守りとして代々譜代・親藩の有力大名が治めている。酒井忠勝、柳沢吉保、堀田正盛、松平信綱ら、日本史の教科書にも出てくる有力者ばかりが川越藩主に名を連ねているあたり、川越がいかに重視されていたかがわかるというものだ。徳川のご時世、武蔵国でいちばんの大藩が川越藩であった。

 そうした名君の中で、特筆すべきは江戸時代の前期に老中も務めた松平信綱。信綱の指揮の下、17世紀半ば頃に新河岸川の舟運が整備されて江戸と結ばれ、以来川越は物資の集積地としても賑わうようになる。川越が商業都市として発展したのは、ひとえに新河岸川舟運のおかげといっていい。名産のサツマイモは、江戸で一大ブームを巻き起こすほどだった。

中心地であり続けた川越の転機

 近代に入っても川越の隆盛は変わらず、川越は当初は川越県・入間県の県庁所在地となり、埼玉県になってからも市制施行したのは川越が県内最初。1878年には埼玉県唯一の国立銀行・第八十五銀行も設立されている。1893年には大火に見舞われたが、その際に火災への強さが認識されて蔵造りの建物が広く普及し、現在の蔵造りの町並みの元になっている。