国内2番目の構成員数を抱える暴力団、住吉会の代表・関功の葬儀が6月上旬、千葉県内で数日にわたって行われた。大物の訃報ということもあり、6代目山口組組長の司忍をはじめ全国各地から代表者らが弔問に訪れた。組織を継承したことをお披露目する「襲名披露」とともに、葬儀は暴力団社会では「義理事」と呼ばれる最重要儀式とされている。
それだけに暴力団社会では「義理事の最中には事件を起こさない」ということが不文律とされている。しかし、かつては暴力団幹部の葬儀の最中に銃撃事件が発生し、住吉会の最高幹部2人が射殺される「掟破り」な事件が起きたこともあった。
その事件は2001年8月に東京都葛飾区の葬儀場「四ツ木斎場」で発生した。(全2回の2回目。#1から読む)
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「義理事の最中にこんな事件を起こすなんて」
住吉会向後睦会の幹部の通夜が行われていた最中に、向後睦会会長の熊川邦男が撃たれ、近くにいた住吉会滝野川一家の遠藤甲司にも銃弾が命中し死亡した。熊川も重傷を負い、2日後に死亡。銃撃したのは稲川会系の幹部2人だった。
葬儀の場で銃撃が行われ、その上、組織の最高幹部2人が殺される被害の大きさから、この事件は「四ツ木斎場事件」として後にまで知られるようになる。
当時を知る指定暴力団の古参幹部はこう振り返る。
「住吉会と稲川会の間で、ある組織がどちらに帰属するかで揉めていた。そのうち大きな対立抗争になるような予兆はあったが、まさか義理事の最中にこんな事件を起こすなんて、まったく予測できなかった。我々の業界では、義理事の際に事件を起こすのは本当にタブー。『あってはならないことが起きてしまった』というのが当時の受け止め方だった」
稲川会側は事件を起こした人物が所属していた傘下組織・大前田一家の代表者を絶縁するなどの処分をすることで、事態は収束に向かった。ただ、この和解に不満を募らせたある人物が、一般市民3人が一度に射殺されるという甚大な被害を出した、次なる事件を引き起こすことになる。