「僕、ちょっと野球に詳しいので、話を聞いてください」みたいな内容で、「ヤクルト」「プロ野球選手」とは書きませんでした。
社長との面接中、スタッフが僕を元プロ野球選手だと気づいて、報告を受けた社長が「元プロ野球選手なの? だったらいいよ、おいでよ」と。そこから、第二の人生が始まったんです。
元プロ野球選手だと紹介されることは苦痛だった
「28歳だから28万円ね」と初任給が決まりました。社員20人ほどで赤字続き。給料遅配もあった。でも、どん底だとは感じませんでしたね。
僕は20歳で腎臓病を患い3カ月間入院したことがある。ステロイドの投薬治療で顔がパンパンに腫れ、退院後は自宅療養を命じられ、許された外出は自宅前の洗車だけ。野球界に戻ったのは2年後の93年秋。こんな経験をしてきたから、給料遅配をなんとも感じなかった。
辛かったのは、アマチュア野球の高校、大学、プロ野球チームの営業に行かされたこと。元プロ野球選手だと紹介されることも苦痛でした。同年代の仲間は球界で活躍しているのに自分は……と複雑な気持ちを味わいました。
野球チームを訪問しなくて済むメディア向けの情報配信をやりたい、と上司に直訴。「3カ月以内に3チームの契約が取れたら異動させてやる」と言われ、必死になって獲得しました。
輝く場所はそれぞれにある
会社員生活にも慣れた頃、野村さんが楽天監督に就任したので、挨拶に出向いたんです。
「いま、何をしているんだ?」
僕の仕事を伝えると、
「ワシがおまえにデータを教えたから、データの会社に入ったのか?」
と尋ねられたので、「そうです!」と答えたら、「おお、そりゃ嬉しいな」とすごく喜んでくれた。
それを見て、「僕が“こっち側”で頑張れば、監督は喜んでくれるんだ」と、胸にぐっときました。それ以来、野球チームを訪問したり、元プロ野球選手と言われることに苦しさを感じなくなりました。