『一心同体だった』(山内マリコ 著)光文社

 昨年の秋、多摩映画祭の『あのこは貴族』の上映時に山内マリコさんと話す機会があった。山内さんは、『あのこは貴族』を書いた頃にまだ見えていなかったことを書いているというようなことを言われていた。

 山内さんの小説は、どこかシニカルで、その分正直なところも魅力だ。この『一心同体だった』でも、10代のうちは、男子を巡って、女の子たちがしなくてもいい嫉妬やマウントをとってしまう気持ちが嘘偽りなく書かれていた。ただ、そんな気持ちは、女の子たちが元から持っていたものではなく、何かに誘導されたものであると徐々にわかる。

 映画の話題がたくさん出てくる本でもある。「白いワンピース殺人事件」という一編は、大学の映画研究会を牛耳る合田という男性監督が必死に金を集めて作った「マッチョ」なのに「ベッタベタ」な映画に人手不足から主演させられた北島遥が主人公だ。その忌まわしいフィルムを後輩部員の高田歩美と奪いに行くシーンがあり、韓国映画の『お嬢さん』で、男たちの前で官能小説を読まされていた“お嬢さん”をメイドのスッキが救い出し、忌まわしい官能小説を破り捨てるシーンを思い出させた。

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 映画の登場人物をタイトルにした一編もあった。「エルサ、フュリオサ」はもちろん、『アナと雪の女王』と『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の登場人物から来ている。本社勤務から転勤で地方都市にやってきた小林里美と、地方のショップで店長を務める大島絵里。生まれ育った環境も雇用形態も違い、反発しあう2人が、徐々にシンパシーを感じあい、『アナ雪』を一緒に見に行くまでになる。里美が絵里の仕事っぷりにほれぼれしつつも、総合職の自分とは比べ物にならないほど薄給であるのではと気づくシーンに泣けてしまった。こういう違いに、より恵まれた立場でいる側はどれほど気づいているだろうか。

『あのこは貴族』では、都会で“貴族”のように暮らす榛原華子や相楽逸子と、地方出身の時岡美紀の人生は一瞬、交じり合うし、女同士の義理を果たすが、そこにある階級社会の溝は深いままであった。しかし、『一心同体だった』では、自分の“普通”が他者には当てはまらないことを自覚し、社会に存在する溝をより敏感に描いているように思えた。

 最終話の「会話とつぶやき」では、コロナ禍直前の田舎町で、大島絵里が、Twitterで知り合った相互フォロワーとリアルで会う仲になる。女児の母親であるふたりは、「女の子を“女の子らしく”育てないように、便利な雑用係にしないために」できることを探し、「自分の中のミソジニーとの和解」が最重要課題と説き、自分より下の世代には、少しでも前進してほしいと願う。多摩映画祭で山内さんが書きたいと言っていたのは、こういう部分だったのではないか。

やまうちまりこ/1980年、富山県生まれ。2012年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。同作のほか『アズミ・ハルコは行方不明』『あのこは貴族』が映画化されている。他の小説作品に『選んだ孤独はよい孤独』『メガネと放蕩娘』、エッセイ集に『買い物とわたし』など。
 

にしもりみちよ/1972年生まれ。ライター。共著書に『韓国映画・ドラマ わたしたちのおしゃべりの記録2014〜2020』など。

一心同体だった

山内 マリコ

光文社

2022年5月24日 発売