豊川先生はかなり心配してくださっていた
――師匠の豊川孝弘七段からお祝いはありましたか。
渡辺 盛上駒をいただきました。かなり前から準備してくださったようで、「自分で使っちゃおうかと思っていたよ」ともいわれました。師匠の稽古先でもお祝いしていただいたとき、目元が少しウルっとされていたんですよ。
かなり心配してくださったんだと思います。豊川先生はそっと見守るタイプで、ちょっと悩んでいたときは「1杯飲みにいこうか」と声をかけていただきました。アドバイスというよりは、奨励会の経験や丸山先生(忠久九段)との昔話をよくお聞きしましたね。「奨励会の郷田(真隆九段)はまだ弱かった。強いとは思わなかったんだけどねぇ」ともおっしゃっていました。
一番弟子!この先も研鑽怠り無く!お疲れマンモス🦣
— 豊川孝弘 (@Toyokawa_shogi) March 10, 2022
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豊川奨励会員がウェイトトレーニングを始めた理由
――豊川奨励会員がなぜ筋トレを始めたか、知っていますか?
渡辺 いえ、聞いたことないです。
豊川は親父ギャグとパワフルな解説でファンに人気だが、42歳で「鬼の住処」ことB級1組に昇級した根性の棋士である。昇級インタビューでは「(負けた最終戦を聞かれて)内容はナイヨウでしたね」「ようやく地下1階(B1)です。あはは。いつも子どもに『パパ、Cはないよ』といわれていたのでちょっといばれます」とおどけた。
奨励会に入ったのは1982年、高校1年生のときだった。関東奨励会の同期入会は小学校6年生の羽生善治九段、森内俊之九段、郷田真隆九段らで、関西には佐藤康光九段がいた。天才集団との競争は不利に思われたが、豊川はわずか2年半で二段に昇段する。「僕は羽生さんを追っかけていたんですよ」の言葉も頷けるだろう。
羽生三段に追いつくチャンスを迎えたことがあった。しかし、豊川は郷田初段を相手に詰みを逃して三段になれず、二段で停滞する。そのときに出会ったのが、丸山忠久九段らと汗を流したウェートトレーニングだった。『将棋・名勝負の裏側―棋士×棋士対談―』(将棋世界編、2016年、マイナビ出版)から、豊川の語りを引用しよう(対談相手はゴキゲン中飛車の近藤正和七段)。