7期目の降段点はショックだった
――師匠から何かいわれましたか。
渡辺 記憶にないんです。師匠もなんて声をかけていいか、わからなかったんじゃないですか。恒例の打ち上げは井出さんの祝勝会になって、ご両親も参加されていました。僕も出たんですが、さすがに途中でつらくなって帰りました。
――6期目は藤井聡太三段(当時)が1期抜けで、史上最年少四段の記録を樹立します。リーグでの評判はどうだったんでしょうか。
渡辺 みんなに注目されていましたけど、さすがに1期抜けされるとは思っていなかったんじゃないですか。その期は関西同士がかなりよく当たっていて、関西陣は藤井さんと12人指して西田さん(拓也五段)しか勝たなかった。関東は6人当たって4勝だったから、「関西、頑張ってくれよ」と思った記憶があります。まあ、これも自分が当たらなかったから、好き勝手にいえるんですけどね(笑)。
――7期目は4勝止まりで、またしても降段点です。ちょうど大学4年の後期が始まったころでした。
渡辺 原因は不明で、ショックでした。その次の期は5勝目を上げたらホッとしちゃって、負けまくりました。降段点を取ると、消すことに頭がいってしまうのがよくないですね。
石川優太四段との謎の因縁
――12期目の三段リーグは16勝2敗で、歴代1位タイの成績での四段昇段です。同時昇段は石川優太四段でした。
渡辺 この期は4連勝スタートで、逃したらもうチャンスがこない気がしていました。年齢制限で最後の三段を見ていると、プレッシャーに追い込まれて様子が変なんです。自分もそうなるんだろうと容易に想像できました。
大阪遠征で自己最高の13勝目を上げたときは、帰りの新幹線で踊りたいぐらいうれしかったです。四段昇段ボーダーのイメージでしたね。そこから昇段争いを意識するよりは、歴代最高の16勝を目指していました。それでプレッシャーを感じなかったのがよかったのかもしれません。四段昇段が決まったのは14勝目を上げたときで、競争相手が敗れたからでした。
好調の要因は特にありません。ただ、前期の最終局で石川優太くんの昇段を止めたのは自信になりました。昇段一歩手前の人に勝てるんだから、今度は自分が上がってもいいんじゃないかと思えたので。
石川君とは謎の因縁があります(笑)。小学生名人戦は準々決勝で負かされてテレビに出られなかったし、三段リーグの初対局はぼこぼこにやられて、2回目の降段点のときも最終戦でやられて決まったんです。そしたら今度は僕が石川君の昇段を阻止して、次の期に一緒に四段昇段するんだから、不思議ですよね。