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Mr.マリックの初舞台は…

――ちょっとした師弟状態に。

マリック 学校の帰りに家に寄っては、マジックを教わりましたね。棚を開けると手品の道具がズラッと飾ってあって。また、マジックの道具ってきれいだから壮観でね。で、「じゃあ、今日はこのコップのマジックをやろう」といって、見せてくれた後に教えてくれて。ちゃんと習った子だから、教え方がうまい。「これがちゃんとできてから次を教えるね」といって、いろいろ習っていきました。

 それで、その子と一緒に発表会をやるようになってね。彼のお父さんがマジックに熱心なうえに大金持ちだったから、家の2階に舞台まで作ってくれて。その舞台で2回ほどやって、3回目には商工会議所の会館を借りてやれるくらいまでになって。

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中学校の同級生、元林一郎君と主催した「奇術の集い」のパンフレット ©文藝春秋

――その転校生は、一体何者なのですか?

マリック 元林一郎君といって、いまは名古屋でマジシャンを派遣したりする芸能プロダクションをやっています。本人もずっと司会業を専門にやられていて。後に僕も仕事を頂いたりしましたね。

 元林くんとは、別々の高校に進んだので疎遠になっちゃいまして。でも、また偶然でマジックを教えてくれる“先生”が現れた。

 高校生になると、名古屋駅のそばにある名鉄百貨店に通い出したんです。名鉄には手品グッズ売り場があって、マジックの好きな人がたむろしていて。そこで沢浩さんというアマチュアのマジシャンと知り合ったら、うちの近所の歯医者さんのインターンになったと言う。それで「一緒に研究させてもらっていいですか?」と言ったら、「じゃあ、仕事が終わった後なら」となって教えてもらうようになってね。

師匠を追いかけ、名古屋に通った高校時代

――習得されたのは、中学時代よりも高度なマジックですか。

マリック 沢さんは、マジックの本場であるアメリカからマジック関連書の原書を取り寄せて読むような方で。アメリカで発表された新しいマジックを取り入れていましたね。だから、新しいし、もっと深い。

 沢さんが歯医者での仕事を終える頃に彼の下宿先に行って、マジックを教わって、というのを何ヶ月か続けました。時には、寝泊まりして教わりましたよ。インターンが終わって名古屋に戻られた後も、しばらくは名古屋に押し掛けていました。

マリックさんの本棚にもマジック関連の文献がずらりと並ぶ ©文藝春秋

――マリックさんが中高生だった60年代というのは、マジックのブームみたいなものがあったのですか?

マリック アマチュアのマジック・サークルがいっぱいできた頃ではありました。デパートで実演販売をさせてもらうこともあって。そこへプロの方が覗きに来てくれて「いま、キャバレーに出ているから、見に来る?」なんて誘ってくれる。で、天井桟敷というか、スポットライトの後ろから見せてもらえて。それがまた、かっこいい。生バンドの演奏があってきらびやかでね。その日のスターですよ。そういうショーを見に行くうちに、「プロの仕事っていいなぁ」って憧れるようになりました。