大物マジシャンが語った「プロになる条件」
――19歳で実演販売員になられた後、アマチュアのマジシャン大会に出場された際に初代・引田天功さんに褒められて本格的にプロになることを意識されたとのことですが。
マリック テレビで活躍するスターでしたからね。僕たちは天功さんに憧れて、ファンクラブに入ったり、写真を撮りに行ったりして、追っかけていましたよ。それぐらいの人に言われたらね。
天功さんには松旭斎天洋さんという師匠がいらして。もう、その頃は80代でしたけど上野にあった本牧亭でハトの会という会を毎月やっていらして、私も勉強させてもらいたくて通い詰めていました。ある時、天洋先生に「どうやったらプロになれますかね? マジックで食べていきたくて」と聞いたら「マジシャンなんて免許もなにもないんだから、プロを名乗ればプロになれるよ。でも、プロになるだけでは食べていけない。君が天功君みたいに一流になりたいという気があるのならやりなさい」と。
そこで私は「一流とはうまくなることだ」と勘違いしてね。「分かりました。では、一流を目指して頑張ります!」と答えました。
――その結果、1972年に23歳で「環太平洋マジックアソシエーション(Pacific Coast Association of Magicians、以下PCAM)」ハワイ大会のクロースアップ部門で優勝されていますよね。
マリック 私がやっていたのは、少ないお客さんの目の前で披露するクロースアップ・マジック。デパートで実演販売していたので、毎日練習していて。で、たまたま天洋先生が三越劇場で主催していた「手品フェスティバル(現:テンヨー・マジックフェスティバル)」に出していただいて。そこにチャーリー・ミラーという、アメリカのクロースアップ・マジックの超大御所が見に来られて、僕に「今度、ハワイで大きなコンベンションがあるけど、いま披露したマジックをやったら?」と声を掛けてくれた。