文春オンライン

「10本まともに指のある人がいなかった」高卒で就職→マジシャンに…Mr.マリック(73)が受けた“強烈すぎる洗礼”

Mr.マリックさんインタビュー #1

2022/07/16
note

世界大会で優勝した日に「やめよう」と思ったわけ

 ジャンボリングといって大きい金輪を使ったマジックを披露したんですけど、お墨付きをもらえたようなものだから驚いて。けど、当時は1ドルが360円の時代でしょう。お金がないので戸惑っていたら「サインさえすれば出してあげるよ」と。もうね、手品フェスティバルが国体なら、PCAMはオリンピックですよ。

――PCAMで優勝されて、ついに一流マジシャンになれたと。

マリック ワイキキのシェラトンを借り切って、世界中から3000人のマジシャンが集まるような大会で優勝しましたから。しかも、日本人で始めて海外のタイトルを獲れたので有頂天ですよね。チャンピオンベルトを持って帰国して、どこかの事務所に入って売り出してもらう気満々になって。

ADVERTISEMENT

 と、調子に乗っていたんですけどね。その大会ではガラショーといって、プロのマジシャンが一般の方々向けにマジックを披露する催しも併せて行われていて。優勝した日の夜、島田晴夫さんという初代・引田天功さんの弟弟子だった方のショーを見て打ちのめされた。

 島田さんはラスベガスのリビエラホテルで5年間メインのショーをやるくらいの大御所で、もう圧巻ですよ。黒田節に乗せて和傘をどんどんどんどん出していくマジックで、衣装も照明も音楽も、僕たちが演芸場で見たり、やってきたりしたものとはスケールがあまりにも違いすぎる。

1972年、23歳の若さでマジックの世界大会に出場。優勝を果たした

――そこで一流とはなにかを悟った。

マリック 優勝した日に島田さんのショーを見たんだけど「これはもうやめよう。無理だ」って。井の中の蛙ですよ。私のやっていたマジックが、途端に貧乏くさく思えちゃってね。

 帰国してから、実演販売をさせてもらった会社の社長に「辞めます」と言って。向こうは優勝した矢先にそんな話をするものだから、怒って辞めさせてくれない。しょうがないから「じゃあ、ちょっと風呂に行ってきます」と言って、そのまま故郷の岐阜に逃げました。

写真撮影=三宅史郎/文藝春秋

「10本まともに指のある人がいなかった」高卒で就職→マジシャンに…Mr.マリック(73)が受けた“強烈すぎる洗礼”

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー

関連記事