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高校卒業後に就職…「10本まともに指のある人がいなかった」

――でも、高校卒業後は就職されてしまう。

マリック 大手のガス機器メーカーに。あの頃はプロのマジシャンになりたい気持ちよりも、なれないという考えのほうが大きかったですね。マジシャンも落語家さんみたいに誰々師匠に付いて、プロになるものだとばかり思っていましたから。

 だけど、キャバレーに出ているマジシャンの方々に話を聞くと師匠というものがいない。デパートの実演販売がスタートになっている。実際、実演販売を経てプロになった人がいっぱい出てきて「ひょっとしたら自分も」と思ってね。ただ、問題は親が「ダメだ」と言うこと。私は長男ですし、岐阜はなかなか保守的で子供は勝手に動けないものでしたから。なので、とりあえずアマチュアとして大会なんかで認めてもらえる方向を目指していました。
 

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高校卒業後、ガス機器メーカーに就職

――「とりあえず就職して、あとからなんとかなるだろう」みたいな気持ちが?

マリック その会社で働くこと自体が嫌だったわけではないんです。要は、ビビってしまったんです。というのはね、新入社員は3ヶ月ごとに部署を異動して、色々な仕事を体験させられるんです。最初は検査、次はメッキ、最後はプレスって。このプレスでビビってしまった。いまは徹底的に安全が図られていると思いますけど、あの頃はプレス機に直で鉄板をセットしていて。で、プレス作業をしている人を見たら、10本まともに指のある人がいない。

「指、どうされました?」「おう、おまえも気をつけろよ」「そんなに危ないんですか?」って。指を失くしてマジックができなくなる恐怖が出てしまって、人事部に「3ヶ月もやれません」と言ったら思いっきり叱られたけど、メッキに回してくれました。

 でまぁ、悩んでいる時にオリエンタル百貨店というデパートのマジック売り場に行ったら、実演販売の方に「君、日曜に必ず来るよね。私、東京のデパートに行くから、名古屋の担当を引き継がない?」と言われて「やろう」って。親には「デパートでこういう仕事だから」と説明してね。

©文藝春秋

3度目の正直で、両親の説得に成功

――マジックを仕事にすることに、ご両親は納得してくれましたか。

マリック すぐには無理ですね。だから、テレビの勝ち抜き番組に出て「一応、できるよ」ということだけを示そうと。まずフジテレビの『しろうと寄席』(1966~1968年)に出て。二つ目、真打、名人と勝ち抜いて上がっていく番組で、名人まで取ったけど「そんなのまぐれだ」と言われてね。じゃあ、今度は関西でやっていた『素人名人会』(毎日放送テレビ、1960~2002年)でも勝ち抜いたけど、まだ「まぐれだ」って。もう一回『素人名人会』に出て勝ち抜いたら、ようやく父親は「うん」と許してくれましたね。

 好きな道に進むなら、とにかく親を説得しないと。最終的に応援してくれるのは、親ですからね。親も説得できないのに飛び出したって、絶対にどこかで壁に当たります。3回もテレビ番組に出て大変でしたけど、それはそれで良かったなと。