《偉大なる首領金日成主席様と私(金正日)は文鮮明総裁様との大事な縁を最後まで継承していきます。これから文鮮明総裁様に時間があった時、いつでも平壌を訪問されることを要請いたします。尊敬する統一教会文鮮明総裁様の万年長寿を祈願いたします》
北朝鮮と文鮮明氏との強固な結びつきをうかがわせる内容だったという。この《親書》は、北朝鮮からやってきた統一戦線部の幹部、さらに某国の北朝鮮大使らが文氏に届けたという。
「文氏は、親書を非常に喜んでいたそうです。すでに金日成との公式会談を実現させていましたが、後継者である金正日との関係継続が決定的になったからです。文氏は彼らに向かって、その場で金日成との親密さについて3時間にわたる大演説をぶったといいます」
託された金正日への《返礼》 関係は強固な結びつきへ
文氏は《親書》への《返礼》として、以下のような伝言を北からの密使に託したという。
《これからも金日成主席との大事な縁を忘れずに、金正日国防委員長と頻繁にお会いし、深く近しい関係を引き継いでいく》
総書記として全権掌握する前の金正日は当時、人民武力部、人民保安部、国家安全保衛部を統べる国防委員長の任にあった。
「それでも金日成の後継の地位を確立しており、この時にはすでに“ロイヤルファミリー”の独裁体制は2代目の時代に移行しつつありました。文氏はそのことをよく理解していた。だから『必ず国防委員長に私の意思をお伝え下さい』と念押しするのを忘れなかったのだと言います。『この時、私は統一教会と北朝鮮との強固な結びつきが続いていくことを確信した』。私に情報をもたらした脱北者が、そう断言していたことを覚えています」
情報当局者はこう振り返った。
彼は、最初の証言を得てからさらに数年後、韓国の諜報機関「国家情報院」の内通者からも同様の情報を得て、情報の確度について「さらに確信を深めた」という。
ただ、文氏は、1968年に設立した反共主義を掲げる政治団体「国際勝共連合」の活動を通じて、岸信介元首相ら日本の保守政治家との関係を深めたとされる。児玉誉士夫ら大物右翼との関係も取りざたされるなど、その「反共」の政治的主張は、共産主義国家である北朝鮮とは相容れないもので、両者は反目し合う間柄と思われていた。
ところが、文氏は1991年に金日成と突如会談し、世界に驚きを与えた。しかし実際は「北朝鮮はもっと以前から統一教会へのアプローチを試みていた」(前出の当局者)というのだ。