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 統一戦線部からの指令「文鮮明に接触しろ」

 これまでさまざまなメディアが報じているように、文氏は北朝鮮北西部の平安北道(ピョンアンブクト)で生まれた。日本への留学などを経て1954年に「世界基督教統一神霊協会」いわゆる「統一教会」を設立した。

 一方、冷戦下で「主体(チュチェ)思想」を根幹とする独裁体制を築きつつあった金日成は、1980年代中盤ごろから、新たな外交戦略を打ち出していた。前出の関係者がその中身をこう説明する。

「朝鮮同胞は国籍にかかわらず、全て『包摂』するという戦略です。世界中で北朝鮮への支持者や協賛者を広げ、抱き込もうという政策で、おもに北朝鮮の出身者が工作の標的となりました。工作を主導したのは、対韓工作を担当する統一戦線部。韓国有数の財閥『現代(ヒュンダイ)』グループの創始者らもターゲットでした。その最初期に狙われた中に、統一教会を急拡大させていた文鮮明もいたわけです」

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「文鮮明に接触しろ」

 統一戦線部を通じて発せられた指令は、すぐさま外務省や世界各国の大使館高官に伝達された。急成長する新興宗教の教祖と独裁者との会談が実現するのは、それから5年ほどが経った頃だったという。

1991年12月6日、北朝鮮を訪問した韓国の統一教会創始者、文鮮明氏(左)を咸興の別荘に迎え乾杯する金日成元主席 ©共同通信

「北朝鮮の一番の狙いは、統一教会の求心力を最大限利用することにありました。金日成は、自身が唱える『主体思想』と、文鮮明を崇拝の対象とする統一教会の教義には人間個人を『指導者』や『教祖』として奉る点に共通点があると考えていました。この2つを上手くつなげて大衆洗脳の道具にしようとしたのです。同時に、統一教会から莫大な資金を引き出すことも目論んでいた」

「教祖の故郷を聖地に」好都合だった北朝鮮からのアプローチ

 一方、独裁政権からの秋波は、文鮮明にとっても好都合だった。

「文鮮明のほうには、自分の生まれ故郷、つまり北朝鮮の平安北道をエルサレムのような聖地にしたいという思惑があった。北朝鮮側は、教団側からの希望を受け入れ、その交換条件として莫大な資金の提供を求めました」

 北朝鮮は、統一教会から引き出した資金を、イタリアのFIAT社と提携して設立した「平和自動車」の工場の設立資金に充てたという。

2001年10月4日、訪朝した盧韓国大統領(手前中央)一行が、北朝鮮平安南道南浦市の平和自動車の工場を訪れた一行 ©共同通信

「生産管理は統一戦線部が行い、生産された車両は中国に販売しました。利益は、設立資金を用立てた統一教会と統一戦線部で分配することになっていました。工場では『フィパラム』、日本語で『口笛』という名の乗用車を製造しましたが、ほとんど売れず、当初の計画通りに事業化することはできませんでした」

 平和自動車はその後、北朝鮮に譲渡されたというが、統一教会側が資金投下の見返りに企図していた「文鮮明氏の故郷の聖地化」は、その目的を果たしている。