「被害者がことごとく若い女であり…」
この段階でほぼ彼の犯罪の全容が見えていた。記事にはハンチングをかぶった佐太郎の写真が添えられ、「稀代の殺人鬼 吹上」の説明が付いている。同紙7月30日付朝刊の「取調べ進むにつれて 身の毛もよだつ殺人鬼」が見出しの続報には、逮捕に至る捜査の経過が書かれている。
さる5日、群馬県で警視庁はじめ関東地方各府県の捜査係主任会議が開かれたが、その席上、昨年以来各府県に頻々として行われる凌辱殺人事件が話題に上った。被害者がことごとく若い女であり、その他絞殺方法や死体の処置が同一なばかりでなく、犯人の逃走先と思われる地方で必ず同一犯罪が行われるという点から、ここに初めて同一犯人の所為であることの端緒を得た。警視庁では苦心のすえ24日、犯人の写真を手に入れて各署に配布。28、29両日は被害各府県が一斉に捜査を行うことになっていたところ、意外にも早く外神田署の手に逮捕された。
いまでは当たり前だが、当時はまだ珍しかった広域捜査が実施されたわけだ。気になるのは、この記事が「犯人の写真」と書いていること。一体何だろう。
8月12日付上毛の連載企画「吹上佐太郎を捉えて(二)」に記述がある。
「会議へ本県警察部で犯罪捜査の材料として提出した物は、(同年4月の)東村国定における事件の際、発見した佐太郎の俳句のようなものを書いた筆跡と、彼の写真であった。写真は昨年7月、佐太郎が信州・御代田の花柳界で遊んだ際、同所の料理店『初音』の内芸者あや子、福丸、茶目子、あき子、『新開楼』のみよ子などをあげてひと騒ぎしているところに、ちょうど伍賀村(現御代田町)の下水写真館主が来合わせたのを呼んで、5名の芸者と佐太郎と6人で写真を撮ったのがそれである」
その写真を焼き増しして警視庁へ送った。その段階で吹上佐太郎という名前も判明した。加太こうじ「明治・大正犯罪史」は「女と記念撮影したのが運の尽きだった」と書いている。
「この写真を見た外神田署の刑事たちは『どこか見覚えのあるような気がする』と言い出した」
警視庁でも、この打ち合わせに従って、一般犯罪の捜査を一時中止することを各署に指示し、参考の写真を複製して配布した。この写真を見た外神田署の刑事たちは「どこか見覚えのあるような気がする」と言い出した。
帰署した同署の荒井多蔵刑事が写真を一見してふと心に浮かんだことがある。それは同署が前年、少女暴行で取り調べた木村道蔵のことである。そうだ、きゃつに相違ない。あのとき木村が、いまは本庁に転勤している司法主任の作成した聴取書に署名しようとして、木村の「木」の字を誤って「吹」の字を半分書き出したことがあった。そばで見ていた主任は笑いながら「自分の名前を間違える馬鹿があるか」と言って、最後の一枚を書き直して署名させたことをそばで目撃していたことを思い出した。あのときは別に気にも留めなかったが、「やつは本名は吹上佐太郎であるのを偽名にしていたため、うっかり吹の字を書いてしまったに相違ない」と思い当たったのである。
「警視庁史 大正編」はこう書いている。荒井刑事は上司の小野房治部長刑事に報告。佐太郎が志村の飯場に住み込んでいることを聞き込み、昼食から帰ってきたところを逮捕したという。
東朝の続報は彼の犯行について「凌辱殺人は17件に及び、なお全部を合すれば二十余件に達する模様である」。さすがにそこまではと思うが、当時は何でもかんでも結び付けたのだろう。