『ヨイ豊』で浮世絵の挽歌を描き、『北斎まんだら』で町絵師群像を描いた梶よう子が、三たび浮世絵の世界に挑んだ。それが本書『広重ぶるう』である。
その話に入る前に浮世絵の世界を描くのが三度目というのはやや正確さを欠くということもお断りしておかなければならない。摺師安次郎人情暦と副題の付いた作品が他にあるからである。『いろあわせ』『父子ゆえ』という連作だ。浮世絵には絵師がいて、彫師がいて、摺師がいる。その摺師を主役に据えたのが摺師安次郎人情暦なので、ここでは絵師を描くのは三度目だ、と急いで付け加えておく。
では、その『広重ぶるう』はどういう話なのか。キーワードは、タイトルになっている「ぶるう」だ。広重が異国のその色と出会うところから本書は始まっている。伯林(べるりん)で作られたぷるしあんぶるう。伯林の藍ということで、ベロ藍。この色と出会った瞬間に広重の人生は一変する。それまで、役者絵の国貞、武者絵の国芳に比べて、広重は役者絵を描いても武者絵を描いても「色気がない」「似ていない」とうだつが上がらず、悶々としていた。鳴かず飛ばずの貧乏暮らしである。ところが、ベロ藍と出会った途端に広重は天啓を受けたようにひらめく。
それまでの藍に比べて、水に溶けやすいベロ藍を活かせるのは景色。海や川、なによりも空。つまり、このベロ藍を使えば、名所絵が必ず変わる。「役者でも、女でもねえ。この色は、景色を彩る色だ」。そう確信して広重は「東海道五拾三次」にとりかかる。
ところで、名所絵は美人絵や役者絵の下に見られる傾向があるという。そういえば、名所絵が動かないものを描けばいいからだ、との台詞が本書にも出てくる。それでは「冨嶽三十六景」の北斎はどうなのだと言いたくなるが、本書の登場人物の言葉を借りれば、「北斎翁は名所絵が一段下がると知っていても、そこに切り込んで行く気概がある」。広重はベロ藍と出会うことでその気概を持つのだ。そのときの広重を、作者は次のように描いている。「心が躍る。国貞も国芳も、悔しがれ。見ていろ、北斎よ」。
本書はそこから始まる広重の遅咲き人生を描く長編である。
『ヨイ豊』で八十八(のちの国周)という圧倒的な個性を鮮烈に描いたように、『北斎まんだら』で町絵師群像をリアルに描いたように、この『広重ぶるう』でもさまざまなわき役たちが彫り深く描かれている。
特に、幼いころに広重に弟子入りし、将来を嘱望されながら若くして亡くなる昌吉の挿話が物哀しい。働き者で明るい後妻お安を一方に置けば、陰と陽のドラマが物語の背後にあるということだ。行間に陰影が生まれているのもそのためにほかならない。計算されつくしたこういう配置も素晴らしい。
かじようこ/1961年、東京都生まれ。2005年「い草の花」で九州さが大衆文学賞を受賞。2008年『一朝の夢』で松本清張賞を受賞。2016年『ヨイ豊』で直木賞候補、歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。ほかの作品に『赤い風』『吾妻おもかげ』など。
きたがみじろう/1946年、東京都生まれ。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人を務める。