平安貴族とサバイバル、一見、なかなか結び付かなそうなものである。が、平安時代を貴族として生きた人々の実際を知ったならば、確かに、彼らの人生は、過酷なサバイバルに見えてくるかもしれない。
著者の木村朗子氏は、「平安時代は、戦後社会を生きる現在の日本の日常とよく似ている」とする。
現代の日本は、戦争のような大惨禍はないものの、けっして平穏な理想郷などではない。私たちの多くは、少しでもいい暮らしをするため、いや、少しでもマシな暮らしをするため、日々、何かと闘い続けている。
「実績」「業績」「成績」、こうしたものを勝ち取らないと、私たちは、それなりに美味しいものを食べることもできなければ、それなりに快適な家に住むこともできない。疲れ果てて、そうした闘いを放棄することは、私たちにとって、人生を放棄することと同義となる。
そして、平安時代の貴族たちも、その大半は、遊んで暮らすことなど許されず、それどころか、努力を怠れば簡単に没落してしまう、何とも危うい人生を余儀なくされていた。彼らの多くは、ただ、その親の持っていた社会的地位に留まり続けるためだけにも、かなりの努力を求められたのである。闘い続けなければ、「貴族」と呼ばれる身を保つことさえ難しい、というのが、「平安貴族」と呼ばれる人々の現実であった。
どうやら、現代日本人の人生と、平安貴族たちの人生とは、かなり似通っているらしい。どちらも、日々のサバイバルを乗り越えて、初めて成り立つのである。
では、平安貴族たちは、どんなサバイバルに明け暮れていたのだろうか。
木村氏が紹介するのは、主に女性たちのサバイバルである。とはいえ、彼女たちのサバイバルは、彼女たち自身のためのものではなく、彼女たちの父親や兄弟や夫のためのものであった。
当時の貴族男性たちは、娘や姉妹や妻といった女性たちに、自身の命運を託すことがあった。上級貴族たちは、地位のため、娘や姉妹を妃として天皇のもとに送り込んだのであり、中級貴族たちや下級貴族たちは、やはり地位のため、娘や姉妹や妻を女房として上級貴族のもとに送り込んだのである。木村氏は、そうして男性たちのために送り出される女性たちを、「差し向けられたエージェント」と呼ぶ。
そして、「エージェント」となった女性たちは、「学問で勝つ」「音楽で抜きん出る」「和歌の力でのし上がる」など、さまざまに闘う。彼女たちの勝利こそが、彼女たちの父親や兄弟や夫の地位を保障するからである。彼女たちは、身内の男性たちの地位のために、漢学の才を競い合い、演奏の技を競い合い、和歌の心を競い合っていたのであった。
清少納言も、紫式部も、そして、恋多き女として知られる、あの和泉式部でさえ、そうしたサバイバルの日々を経験していたのである。
きむらさえこ/1968年、神奈川県生まれ。津田塾大学教授。専門は、言語態分析、日本古典文学、日本文化研究、女性学。著書に『乳房はだれのものか』『震災後文学論』『女たちの平安宮廷』『女子大で和歌をよむ』等多数。
しげたしんいち/1968年、東京都生まれ。神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員。近著に『知るほど不思議な平安時代』。