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共産主義に対抗するために手を結んだ先が統一教会

 また、この勝共連合の起こりは、アメリカとソビエト連邦による冷戦が、ほんの偶発的な事件一つで全面的な核戦争にいたるのではないかという大変な恐怖をともなう緊張関係にあったことは否定することができません。60年代と言えば、大規模な安保闘争が繰り広げられ、70年代を終えるまで多くの大学や職場が封鎖されたりゼネラルストライキが繰り返され、国民経済に打撃が加わっていたこと、これらの一部は左翼勢力・共産勢力によって煽動された面もあります。

 1968年近辺は、文字通り、極左暴力集団によるテロや暴動が相次いでいた時期でもありました。頻発する殺人・テロ・重大事件で、日本社会が大きく動揺していました。

 それゆえに、当時は理想主義的な米GHQの平和主義憲法・施政によって解体された警察機構や軍隊組織が脆弱であった日本は、共産主義に対抗するために、まだ当時は日本とアイデンティティがやや近かった朝鮮半島由来の統一教会とあろうことか手を結んでしまったのです。その後援は韓国の情報部門であるKCIAで、共産勢力の排除を行うために、非警察の結社が必要とされた(と当時は議論され、実施に移された)というのが揺るぎない事実ということになります。

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「敵の出方論」を採っている共産党

 後年、とりわけ00年代以降の自民党支持者や、「ネットで政治の真実を知った」系の人たちからすれば、実に「不都合な事実」なのは、そういう宗教勢力をバックに自民党が世界的な共産化の動きに抗っており、場合によっては朝鮮人系暴力団を動員してでも共産党員や労働組合員、左翼大学生などと文字通り殴り合いをし、脆弱な警察権力が一定の規模に育つまで踏ん張ってきたのだということです。

 対する日本共産党などは、GHQを仕切る元帥マッカーサーさんの手によって1950年に公職追放(レッドパージ)を受けました。さらに団体等規正令(当時)に基づいて出頭命令を拒否した団規令事件で逮捕状が出て、野坂参三さんや徳田球一さんなど9人の共産党幹部は地下に潜行し、51年「軍事方針」を策定して武装闘争路線を取っています。

 共産党と言えば、公安調査庁はこんにちも共産党を破壊活動防止法に基づく調査対象団体としています。51年時点で「軍事方針」を定め武力蜂起の方針を掲げたものの、これを一度取り下げていますが、共産党は自党が手がける革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする「いわゆる敵の出方論」を採用しており、暴力革命の可能性を否定していないことが論拠になっています。