悪い子でもなく、すごくいい子でもない
主役然と、絶対正義な顔をせず、つねに市井の生活者のひとりとしての顔を持ち続けること。それはひとむかし前のスター絶対主義のエンターテインメントではない時代に求められる能力である。
有村架純は以前からその力を発揮していた。代表作の朝ドラこと連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK)のヒロインみね子がまさにそれ。たいていの朝ドラヒロインは、大望を抱き、自己実現していく。ところが有村が演じたみね子は何者にもならない。赤坂の洋食店のウエイトレスとして粛々と働き、それは特殊技能をもつような仕事ではなく、会社を立ち上げたり、有名人になったりしない。夫(磯村勇斗)は調理人で、歴史に残るウイスキーやラーメンを作ったりしない。
視聴者が憧れて、この人みたいになりたいという突出した人物ではなく、大半の視聴者のように街にひっそり暮らしている、我々生活者の代表のような役だった。地道で純粋な面のみならず、たまには心のなかで毒も吐く。
派手でも地味でも悪い子でもなく、すごくいい子でもない、そのへんの塩梅が絶妙なのは、岡田惠和の脚本の優れたところであると同時に、そういう役を演じることのできる有村架純の魅力だったのだろう。『ひよっこ』から5年が経過して、ますますそういう役割をしっかり担っている。
大ヒットした映画『花束みたいな恋をした』のヒロイン・絹はネット社会のなかで当たり前に情報を享受して生きている現代人の代表のようだった。恵まれた家庭に育ったため、カルチャーを楽しむ環境は整っているが、志向はとがり過ぎず、上の下、中の上くらいな感じ。つまり世の中の最大公約数的なタイプの人物。
漫画や映画や演劇など、どこか生真面目にカルチャーを人生に取り入れていく絹の態度は、世の中の流れは抑えておきたいけれど、突出して詳しいわけではないとわきまえている現代の若者の生真面目さと重なって見えた。
テレビシリーズから映画にもなった『前科者』で演じた保護司は生真面目さの極致。前科者が社会復帰するために尽力する仕事には、給料は出ず、ボランティアで、コンビニバイトをしながら、ものすごく責任の重い仕事をやり続ける。地道なヒロインを有村は見事に演じていた。