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77年、運命の夏

≪東京大空襲≫「あれよあれよという間に周りが火の海に」14歳で死生観が一変した昭和20年3月10日の夜

≪東京大空襲≫「あれよあれよという間に周りが火の海に」14歳で死生観が一変した昭和20年3月10日の夜

『文藝春秋が見た戦争と日本人』より#1

2022/08/12

source : 文春ムック 文藝春秋が見た戦争と日本人

genre : ライフ, 社会, 歴史

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 敵の連中は、みんな高高度で飛来して来て、日本近海に達したところで一気に高度を下げてきました。低空飛行で東京に侵入して来たのです。編隊ではなく、単機飛行でしたよ。それが次から次へとやって来ました。

あれよあれよと周り中が火の海になって……

 私は急いでいつも通りの学生服に着替えて、その夜はかなり冷え込んでいましたから、その上に綿入れを羽織りました。頭には防空頭巾を被り、さらにその上に鉄兜を被る。鉄兜といってもちゃちなものでしたがね。それでゴム長を履いて表に飛び出した。

 外に出てみて驚きました。空襲警報が鳴ってそれほど間がなかったにもかかわらず、向島の我が家から見て南の方角、つまり深川方面の空はすでに真っ赤に燃え上がっていたのです。後でわかるのですが、空襲警報が鳴る7分前に第一弾が投ぜられていたのです。しかも、その火の中を次から次へと低空飛行のB29が突っ切って行くのが見える。海の方に向かってどんどん突っ切って行くのもいれば、逆にこちらに向かって飛んで来るのもたくさんいる。そして焼夷弾をバラバラと、次から次へと落とす。

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©iStock.com

「あらら、今日はなんだかすごいよ」

「ただごとじゃねえよ、これは」

 おやじとそんな会話を交わしているうちに、西の方角の浅草、神田方面にも爆撃が始まって、バラバラバラバラと焼夷弾を落としていくのがよく見えました。それから今度は東の方角、平井のあたりにも焼夷弾が次々と落とされていく。

 もうあれよあれよという間に、周り中が火の海になっています。本当に容易ならざることになってしまったんです。とにかく東も南も西も火の柱がものすごい勢いで噴き上がっていましたし、それとともにものすごい黒煙も渦を巻いて押し寄せてきた。

 戦後になってから、B29の搭乗員が書いたものを読んだら、この日の東京上空はあまりの火の明るさで、搭乗席でも腕時計が楽々と読めたというんですね。それぐらいの火の海だったということです。

はんどう・かずとし 1930年、東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役、同社顧問など歴任後、作家となる。著書に『日本のいちばん長い日』『聖断』『レイテ沖海戦』『ノモンハンの夏』『幕末史』『昭和史』など多数あり。2021年1月12日、逝去。

≪東京大空襲≫「あれよあれよという間に周りが火の海に」14歳で死生観が一変した昭和20年3月10日の夜

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