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 グラビアをさせていただいたりとかしながらオーディションをいろいろ受けたけど、まず受かることはなくて。鳴かず飛ばずで、お給料が月500円なんて時もあったから。愛ちゃんも別の事務所に移ったので、「じゃあ、私も辞めようかな」と思って辞めてレースクイーンのアルバイトを始めました。 

「また言われちゃったな。でも、絶対にわかってくれる人はいる」

ーー最初の事務所時代に受けたオーディションは、どんなものが。 

はるな ほんと、いろいろ受けましたね。ドラマでもエキストラだったけど女性の役をやらせていただいて、『世紀末の詩』(日本テレビ、1998年)で竹野内豊さんと山崎努さんの間に座って接客するキャバ嬢の役とかやりました。 

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 ニューハーフの役で某男性アイドルグループのドラマに出た時は、プロデューサーの方に「君みたいなニューハーフは、テレビのゴールデンとかお茶の間って難しいから。ちゃんとお店で働いたほうがいいよ」みたいなこと言われたりもしましたけど。 

ーーそういった言葉を、どう受け止めていましたか?

はるな 自分でもわかってはいたんですけどね。上岡さんの番組もありがたいことではあるけど、やっぱりニューハーフに対しては興味本位の扱いで、ちょっとキワモノっぽい出され方だったと思うんですよ。でも、私は芸能人になりたかったから、それを意識してコメントしていたつもりだったので。 

 

 お店でもオールヌードになるようなショーが当時のショーパブではあったんですけど、私は絶対に脱がないと自分のなかで決めていて。それも芸能人、タレントとして確立されたいなという考えからだったんです。 

 なので、そういうことを言われるたびに「また言われちゃったな」と「でも、絶対にわかってくれる人はいる」という、ふたつの思いが湧き上がってました。 

当時受けていたオーディションの数々

ーーその頃、年齢を偽って『ASAYAN』(テレビ東京、1995~2002年)のオーディションを受けられたとか。 

はるな そうそう、「19歳です」って詐称して(笑)。『ASAYAN』のオーディションは、太陽とシスコムーンのメンバー募集だったんですよ。太陽とシスコムーンは、元陸上競技部とか、元○○な人たちを集めるコンセプトで。じゃあ、私は“元男”っていうことで応募書類を送ったんです。