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「女の子として売れて、『実は男の子でした』というのが理想だった」はるな愛(50)が語る、それでも“後悔はしない”理由

はるな愛さんインタビュー #3

2022/08/19
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 結果は、番組のなかで「こんな人からも応募がきました」みたいな感じで、私の写真が紹介されただけでしたけどね。 

ーー『タモリ倶楽部』(テレビ朝日、1982年〜)の「My勝負パンツ」というコーナーで、レギュラー出演されてもいるんですよね。 

はるな レースクイーンの派遣事務所に入って、レースクイーンのバイトしてた頃ですね。レース以外にも番組のバニーガールとかもやってたんですよ。『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル』(日本テレビ、1995年〜2015年)でファックスを渡したり、『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ、1995〜2002年)でお茶を出したりね。受からなかったけど『ボキャブラ天国』のネタを自分で書いて出したりもしてました。

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 そういうのをやってたら、制作会社さんから声を掛けられて、「ねぇ、『タモリ倶楽部』のオーディションを受けてみない?」と聞かれて。 

 

「女性タレントの下着を見て、真面目に語るコーナーで。すこしエロいけど」「ぜんぜん得意だからやります!」って。で、タモリさんと一緒に「My勝負パンツ」っていう新コーナーを始めたけど、1クールで終わっちゃいました。 

ーー女の子として芸能界に進みたかったけど、まず世に出るためだったらなんでもやる、という。 

はるな 女の子として出てから「実は男の子でした」っていうふうになればいいなって思ってたんですけど。そんなことも言っていられないので、ある仕事はどんどんやっていこうって。で、そのあたりで三軒茶屋のバーも始めて。 

ふいに“男”を出すのはできない、と思ってたけど

ーーカルーセル麻紀さんのように「やっぱり男なんだな」を前面に出すのに違和感を抱いていたという、中学生の頃の感情をお話しいただきましたが、そういった気持ちに変化は? 

はるな 麻紀さんみたいに、ふいに“男”を出すのはできないなって思ってたけど、いまの私ってまったく同じようなことをしているんですよね。

 

 それって自分と向き合っていることだし、自分と向き合って生きていかないといけない。女として「私はニューハーフではなくニューレディです」とか、言葉を新しく作ってやっている方もいるけど、それを見ているとどこか心苦しくて。 

 日本って、変化を恐れる島国の感覚がすごくあるじゃないですか。新しいものが怖いとか、自分の身の回りに変化が来ると戸惑ってしまう。そういうものを、もっと身近なものとして感じてもらいたいんですよね。

 私は自分という存在をエンタメとして楽しんでもらえたらいいほうを取りますし、コンプライアンスが厳しくなっても私のやり方で行きたいと思ってるんです。コンプライアンスを考えるあまり、性別として腫れ物に触るようになるのだけは嫌なんです。 

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