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77年、運命の夏

「なにか変だ」銃を手に無言、ずぶ濡れの下半身、どす黒い顔…激戦の南太平洋で散った精鋭部隊の“戦争怪異譚”が伝えるもの

「なにか変だ」銃を手に無言、ずぶ濡れの下半身、どす黒い顔…激戦の南太平洋で散った精鋭部隊の“戦争怪異譚”が伝えるもの

幽霊部隊#1

2022/08/14
note

全滅していた部隊…しかし、事実は報じられなかった

「幽霊部隊かもしれない。彼(軍曹)は直感した」と「一木支隊全滅」は書いている。事実その通りだった。

 一木大佐率いる支隊先遣隊はこの日、8月21日、全滅していた。上陸したガダルカナル島でアメリカ軍の猛烈な集中砲火と戦車に蹂躙され、916人中777人が戦死するという惨澹たる敗北だった。

 しかし、そのことは留守部隊にもすぐには知らされなかったうえ、報道管制で秘匿され、旭川市民を含む国民が事実を正確に知らされるのは約1年後のことだ。

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「彷徨える英霊たち」は衛兵司令軍曹について「氏名、年齢不詳」としているが、「一木支隊全滅」はその後、満州(現中国東北部)から沖縄に渡り、終戦時に戦死したと書いている。

 さらに立哨していた兵長も、衛兵所にいた上等兵も同様に沖縄で戦死。「この亡霊部隊を迎え入れた歩哨たちも衛兵司令と同じコースを通り、沖縄で戦死したのである」(「一木支隊全滅」)。

 同書によれば、著者は誰か生き証人がいないかと北海道新聞の伝言板で問い合わせたが、直接見たという人は現れなかった。第七師団の各部隊からはその後、満州の第二四師団に転属する兵が多く、同師団は沖縄に投入されたため、そうした結果になったようだ。

「当時は半信半疑でした。しかし…」

「一木支隊全滅」によれば、当時重機関銃中隊の所属で目撃者の兵長と上等兵から話を聞き、沖縄でも生き残った元一等兵から証言が得られた。次のように語ったという。

「当時は半信半疑でした。しかし、各中隊から亡霊部隊帰還については他言しないように。もちろん流言してはならぬとの注意があったが、翌22日には連隊中、誰一人知らぬ者はないというぐらいに広がってしまったようでした。私は兵長や上等兵が面白半分に作り話をしたとは思えないのです。もし特定の数人の兵隊の作り話でしたら、当時あんな広がり方はしなかったと思います。私はいまでも(事実だったとの)確信を持っています」

歩兵第二八連隊の隊舎(「北海道在郷軍人名鑑上川篇」より)

 加えて、当時旧制旭川中学(現北海道旭川東高)の最高学年である5年生が卒業前の体験訓練で第二八連隊の兵舎に宿営していた。その中で不寝番に立っていた生徒が、亡霊部隊が空の兵舎に入って行くのを見たという。

 生徒は夜間演習から帰隊したと考えていたらしいが、翌日になって兵隊から話を漏れ聞き、「さてはあの部隊は――」ということで、そこから生徒の間に広まったという。

 憲兵隊から「亡霊部隊について一切流言してはならぬ」と厳しい通達があったが、家に帰った中学生から一気に市内に話が広まった。憲兵隊は通学の列車に乗り込むなどしたが、うわさが広がるのを抑え込むことはできなかった。