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――そんな風に考えてしまうほどの絵だった。

日髙 その人の性格にもよるでしょうし、全員がそうなるというわけではないと思いますけどね。でも、私はそう思ってしまった。それまで声を入れていたアニメーションはテレビのシリーズものが多くて、1週間に1回の放送であるうえに手描きの時代でもあったので、使えるセル画の枚数が限られていました。

 けれど、『となりのトトロ』に関してはフルアニメに近い枚数を使っています。例えるなら、ディズニー・アニメのように滑らかといいますか。動きがギクシャクするところが皆無で、しかもキャラクターのひとりひとりがいきいきとしていて、背景の木々や田んぼの苗の動きで、どんな風が吹いているかわかるんです。ここまで完璧な絵に久石譲さんの音楽が入ったら、私の声がなくたって物語が伝わるんじゃないかって。

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『となりのトトロ』より

声が入る前から生きているキャラクターの絵を見たのは、初めて

――もはや、ご自身にとって“声優”の概念が変わるような衝撃ですね。

日髙 アニメーションの絵だけで生きている感じ、いきいきとした感じです。『トトロ』までは、そういったものに私は鈍感だったというのかな。声優が絵に魂を入れる、私たちの声がそのサポートをするものだと考えているふしがあったんです。「このキャラクターをもっと動かすために、私たちの声が必要なんだ」「声が入ってこそ、キャラクターが生きるんだ」という。でも声が入る前から生きているキャラクターの絵を見たのは、初めてでした。

 それと台本ですね。ものすごく厚い。テレビの30分ものだと、やっぱり薄いんですけど映画は違います。途方もなく完成度の高い映像、重くて厚い台本によって、「サツキ役に受かってうれしい」というのもつかの間、「アフレコに行くのがちょっと怖いな」と思ったことを覚えています。

『となりのトトロ』より

#2へ続く)