裁判を契機に公害対策が進み、企業は1000億円をかけて「亜硫酸ガス」の除去装置などを作った。三重県は工場ごとに亜硫酸ガスの「総量規制」を実施し、国よりも厳しい環境基準を設けて判決の4年後に下回った。
判決から50年。公害を体験した語り部は高齢化が進み、谷田さんを含め3人だけとなった。
今も認定患者は307人…公害の体験談まとめて子供たちに伝える
元高校教師の伊藤三男さん(76)。公害の歴史を語り継ぐ市民グループ「四日市再生 公害市民塾」のメンバーだ。
次の世代にどう伝えて行くか。判決から50年に合わせ、当時小中学生だった8人などから、公害の苦しい体験を聞き取ることにした。
今村雅彦さん(判決当時14歳):
咳が止まらなくて、発作が止まらないというほどではなかったんですけど、苦しいときはありましたね
山本秀人さん(判決当時13歳):
光化学スモッグの注意報が出たりして、そうすると黄色いマスクをして下さいとか、空気清浄機を入れて下さいとか。大人たちは大変だったけれど、子供たちももちろん、うがいや乾布摩擦やランニングやいろんなことをやってましたけれども、そこまで切羽詰まった思いはなかったんじゃないかな
伊藤さんたちは冊子にまとめて、今の子供たちに配る予定だ。
<冊子の内容>
「はしゃぎすぎると、息がヒューヒューしてきます」
「公害からに逃げるように、多くの家々は山の方面や鈴鹿市などに転出しました」
今も、公害認定患者307人が治療を続けている。
教訓を無駄にしない…経済優先だけでない「命の大事さ」
伊藤さんは、新たな時代の流れに不安を感じていた。
伊藤三男さん:
50年前に僕らも想定していなかったんですが、いま新たな問題が出てきているわけですよね。それは地球温暖化の問題と、カーボンニュートラルの問題が出てきたわけですよ
伊藤三男さん:
総量規制のことを考えればね、かなり思い切ったことをやってもらわないと。経済の問題というのは、公害も何もかも含めて、それは我々自身も考えないといかんですよね。何もかも経済が右肩上がりを永遠に要望しているというのは、どこかで頭を切り替えないと