新刊『文藝別冊 高倉健』(河出書房新社)の製作のため、高倉健のフィルモグラフィーを追いかけて改めてよく分かったのは、一九七五年までの東映専属時代と、以降のフリーになってからで、印象が大きく異なっていることだ。
端的にいうと「アウトローのヒーロー」から「国民的スター」へ。特に『幸福の黄色いハンカチ』で山田洋次監督の世界に触れてからはウェットな「泣きの芝居」もするようになり、東映アウトロー時代の殺気や凄味は薄れた。朴訥とした武骨さは変わらぬままだが、それは「アウトローの怖さ」ではなく、「人生を積み重ねた者の、不器用な温もりや優しさ」として映し出されるようになっていく。
今回取り上げる『動乱』も、そんな一本だ。東映の映画ではあるが、『ハンカチ』以降の作品であるため、高倉健の芝居もそれまでの東映作品とは違っていて、かなりウェットなものになっている。
二・二六事件を扱った本作で高倉健が演じるのは、事件の首謀者である宮城啓介。実際の事件で中心的な役割を担った何名かの軍人を合わせた、架空の人物だ。物語は、宮城ら皇道派の将校たちと軍上層部との対立を軸に、事件が起きるまでの流れを追っている。
ただ、プロデューサーの岡田裕介や森谷司郎監督としては事件そのものよりも、これが初共演となる高倉健と吉永小百合のラブストーリーに重きを置いていた。そのため、吉永扮する薫が鳥取の海岸で想いを伝える場面をはじめ、男女の情念のぶつかり合いが印象深い内容になっている。
全身全霊の「泣きの芝居」をぶつけてくる吉永に比べると、高倉健はそこまでではないのだが、その立ち姿の背中、表情、そして訥々と放たれる一つ一つのセリフ――涙は流さなくとも全てが「泣き」を表現していて、同じ軍人役でも、過去三回で取り上げた作品にはないウェットさを帯びていることに気づく。
ただ、そんな甘い作品だと油断して観ていると、最後にとんでもない場面が待っているから驚かされる。終盤、吉永との別れの場面で甘ったるい芝居が展開されるのだが、それで終わらないのである。
ラストシーンは、宮城の銃殺刑。眉間を撃ち抜かれるのだが、ここで高倉健は目を閉じるため「あ、死んだか」と思わせるのだが、次の瞬間、ガッと大きく目を開ける。
この時の目が、任侠映画のクライマックスで敵親分を斬る時に見せる、あの強烈な怒気をはらんだ三白眼そのものだったのだ。眉間を撃たれているのに、強烈な眼光を放つ――、その人間離れした芝居に驚愕した。これぞ「東映の高倉健」たるド迫力だ。