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「ダラダラと夢を見るのは良くない」入居期間は原則3年…“現代版トキワ荘”「多摩トキワソウ団地」がたった1年でプロ漫画家を輩出した背景

多摩トキワソウ団地 #1

2022/09/25
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2006年8月「トキワ荘プロジェクト」がスタート

 これまで、漫画家になるためには“上京するのが王道”と言われていた。一方で、東京で暮らすのは資金的に厳しいという現実もあった。廉価なアパートに身を寄せながら、ひたすらに漫画を描き、原稿を出版社に持ち込む——多くの人が「漫画家の卵」にそのようなイメージを抱いているかもしれない。

 昭和の漫画家たちが過ごした“本家・トキワ荘”でも、1部屋4畳半のスペースに各々が身を寄せながら、生活費を削って生活していたという。

「いつの時代も漫画家を志す人は多く、学生の就職や就業相談の際にも進路のひとつとして話が上がります」

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 そう話すのは、多摩トキワソウ団地を運営するNPO法人LEGIKA(レジカ)の菊池蓉子さん。LEGIKAは、漫画制作に専念する場所の提供と、目標に向かい切磋琢磨できる仲間を求める漫画家志望者へのサポートを行っている。

取材にご協力いただいたNPO法人LEGIKA(レジカ)の菊池蓉子さん

 その一環として、2006年8月にスタートしたのが「トキワ荘プロジェクト」だ。多摩トキワソウ団地も、このプロジェクトが提供する施設のひとつに位置づけられる。

住む場所を提供するだけではプロデビュー率の向上につながらず

 プロジェクトがスタートした当初は、築50~60年ほどの一軒家を借り上げて、そこで漫画家の卵たちが共同生活するスタイルをとっていた。当時運営していた施設数は、最大25軒にものぼる。

 “居住スペースの提供”を主としたLEGIKAの支援活動は10年以上続いた。が、支援を始めた当初は、居住者のプロデビュー率があまり高くなかったのだという。

 

「当初は、まさに元祖『トキワ荘』のように、ひとつ屋根の下で皆が寝食を共にするスタイルでしたね。ただ、そのときの当団体の支援活動は、“安価な住まいを確保して提供することで、家賃に困る漫画家の卵たちを助けたい”という意味合いが強かったです」(菊池さん)

 若手漫画家たちは、プロになるためのスキルを学ぶ必要がある。しかし、その“学びの場”が少ないため、住む場所を提供するだけではプロデビュー率の向上につながりにくかったのだ。