教育や子育て環境の充実に力を入れてきたので…
「博多方面や長崎方面に通勤する人に住んでもらえる可能性があります。特に坂が多くて土地がない長崎市では、戸建てを求める子育て世帯が周辺自治体に流出しているようで、今後は武雄も移住の候補地になるのではないでしょうか。武雄は全国に先駆けてICT教育に取り組むなど、これまで教育や子育て環境の充実に力を入れてきた面もありますから」と川内さんは熱を込める。
さらに、長崎県の特殊な地形も、武雄市にプラスに働くと見ている。長崎県は、40万都市の長崎市が南部の拠点、25万都市の佐世保市が北部の拠点だが、90kmほど離れているのに、高速交通網が充実しているとは言えない。川内さんは「長崎-佐世保間は、列車だと新幹線で武雄温泉駅を経由した方が、乗り継ぎ次第では早くなります。武雄に住んで長崎や佐世保に通う人が出始めるのではないでしょうか。長崎県全体を営業エリアにした支店を武雄に設ける企業も出てくるでしょう。武雄は高速道路の結節点にもなっているので、西九州の交通の要衝であることをPRしていきたいと思います」と話す。
武雄市はそうした意味を込めて、「西九州のハブ都市」と自称している。ハブとは自転車の車軸のことで、交通の結節点の意味に用いられる。つまり、武雄こそ西九州の中心だと自ら名乗りを上げたのである。
武雄市は、新幹線が観光にも寄与すると考えている。
同市の最大の観光スポットは駅名の通り温泉街だ。
戦国大名、剣豪、外国人医師…1300年間愛され続けた名湯
約1300年の歴史があるという武雄温泉は、弱アルカリ性の泉質が人気で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には傷ついた兵士が多く湯に入ったという。伊達政宗や宮本武蔵、伊能忠敬、シーボルトも訪れた記録がある。
建物として有名なのは公衆浴場「元湯」などの入口にある国指定重要文化財の楼門だ。まるで竜宮城の門のような木造2階建てで、設計者は東京駅や日本銀行本店を手掛けた辰野金吾氏。佐賀県出身で明治から大正にかけて活躍した建築家だ。
川内さんは「これまで温泉街への案内板は車から見やすい場所に設置していたのですが、今後は駅から歩く人の目線で増やしていきます。リニューアルした駅の観光交流センターでは、ハブ都市として武雄にとどまらず、周辺エリアの紹介をしたり、イベントを開いたりするようになるでしょう。また、長崎市には宿泊施設がどこも満室になるほどの催しがありますが、そうした時には武雄温泉も“周辺宿泊地”と位置づけられるはずです。こうして武雄市は新幹線の開業を契機に大きく変わるのではないかと感じています」と胸を高鳴らせている。
ところで、住民はどう考えているのだろう。