「ぜったい売れるから、辞めるんじゃねえぞ」「おまえらが決勝にふさわしい芸人として選ばれただけだ」――立川談志やフットボールアワーの後藤輝基など、綾部祐二を救った「偉大なる先輩芸人たちの言葉」を紹介。
綾部さんによる初エッセイ集『HI, HOW ARE YOU?』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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相方・又吉直樹との出会い
上京して吉本興業の養成所であるNSCを受験したとき、ぼくは22歳になっていました。
1000人だか2000人だかの受験者がいて、1チーム20人とかで括られて、どんどんと面接を受けていくんです。
「最後にアピールすることはありますか?」と言われて、ぼくとタカ(「スキルトリック」時代の相方)がショートコントをやり、あともう一組、漫才をやったコンビがいました。そのコンビの片割れが、又吉でした。
面接が終わって外に出たときに、「ネタをやったのぼくらだけだったね」と話しかけたのが、ぼくと又吉との最初の会話です。
4月になって、当時まだ溜池山王にあったNSCに行ったら、そこに又吉がいたので、「お互い受かってよかったね」と言いました。これはいろんなところで話していますけど、そのとき、あいつの携帯電話に京都の知恩院のストラップがついていたんです。ぼくがいちばん好きなお寺です。
それから紆余曲折あって、ぼくが先にコンビ別れをして、ピンで活動していたら、あいつもコンビを解散することになりました。わりとずっと仲が良かったので、話を聞いていたら、「芸人を辞めて、坊さんになります」と言うんです。「やめたほうがいいよ、坊さんもラクじゃないぞ」と止めました。
そして、気づいたら誘っていました。
「だったらオレらで一緒にやってみる?」
早朝の明治神宮でした。ラジオ体操をしているおばさんの前でそんな話をしたのをいまでも覚えています。