それで、平場でのトークや仕切りの力をつけたくて、ギャラは安くてもいいから、可能なかぎりすべての若手芸人のライブのMCをぼくにやらせてくれ、と事務所にお願いしました。
そして、MCをするときは、いかに身内ネタに頼らないで、わかりやすく伝えるか、出演者全員をきめ細かく面白くできるか、そういうテーマを持って臨むようにしていました。
さらに、先輩やほかの事務所のライブにもどんどんブッキングしてもらいました。
とにかく知らない人たち相手でもぐいぐい入り込み、スベってもいいので、前に出てトークする。そういう場数を踏むようにしたんです。
テレビでは、売れれば売れるほど、上に行けば行くほど、スターがひしめく中に入っていく必要があります。
しかも、相手は芸人の大御所だけではなくて、俳優やスポーツ選手、ミュージシャン、芸術家、あらゆるジャンルのスターがそこにいるわけです。
ぼくの場合、下積み時代に、そこのトレーニングを重ねていたので、いざ番組に呼ばれると、物怖じしないでガンガンいくことができました。ここは抑えて引いておいたほうがいい場合には、そういう判断もできました。
売れるためではなく、売れたあとにどう立ち回るかという準備をあらかじめしておいたことが、功を奏したのです。
結果、ネタとか関係なく仕事がたくさん回ってくるようになりました。
綾部を救った「フットボールアワー後藤の言葉」
2010年には、キングオブコントとM-1の両方で、決勝に進出しました。
キングオブコントは惜しくも準優勝でしたが、それでも自分の中では優勝に勝るほどの爽快感がありました。
決勝のセカンドステージでは、自分たちの持ちネタでもいちばん好きなネタを、さらにブラッシュアップしてぶつけたんです。
手応えはありましたが、結果は準優勝でした。
でも、くやしさは1ミクロンもありませんでした。むしろ自分たちのベストが出せたという、清々しい気持ちと満足感でいっぱいでした。
よくオリンピック選手が、「金メダルは獲れませんでしたが、後悔はないです」と言いますが、あの気持ちがはじめてわかりました。
一方で、M-1では決勝に選ばれたとき、自分たちがいちばん驚いたかもしれません。
正直、漫才についてはコントほどの自信はなかったですし、同期や先輩、後輩たちが死ぬ気で漫才にかけているのを見ていたので、それを差し置いてなんで自分たちなのか、という戸惑いもありました。
その頃たまたまフットボールアワーの後藤さんと飲む機会がありました。後藤さんはM-1優勝者でもありますから、相談してみたんです。
後藤さんはおっしゃいました